〈コラム〉マスク着用という義務

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倫理研究所理事​長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第134回

日本という国は、地理的な条件からも閉鎖的になりやすく、社会は同質的な国民で形成されていて、個人が組織や集団の中に溶け込んでいる。ゆえに何か事が起きると、日本人は横並びの行動をとる。そうしなければ制裁を受けるわけではないけれども、他人と同じように行動した方がなんとなく安心でき、危険も少ないからだ。しかしそれが時として、同じでなければならないという圧力を生み出す。

コロナパンデミックでは、その同調圧力が列島を覆った。感染を防ぐために自粛が求められると、それが「他粛」につながり、同じように行動しない他者を許せないという空気が生まれた。国民一斉のマスク着用はその顕著な例である。

本稿を書いている時点でも、街中ではほぼ全員がマスクを着けている。COVID─19を季節的なインフルエンザ程度にしか思えず、常時マスク着用には疑問を感じている筆者も、電車や店舗の中では着けざるを得ない。他人の目が気になるよりも、他人に不快感を与えるのを避けるためである。

周囲に尋ねてみると、同様に渋々着けている人が多い。同調圧力にはあらがい難いし、マスクは感染予防の効果が大きいと繰り返し言われてきた以上、着用は「義務ではない義務」と化している。

本年2月に、広島県呉市の市議会議員がマスク着用を拒んだため、旅客機から降ろされ、同機は離陸が大幅に遅れた。その議員は4月28日に航空会社AIRDOと釧路警察署を相手どり、当日の降機命令の取り消しと損害賠償を求める訴えを広島地方裁判所に起こした。「機内でマスクの着用を執ように求める行為は違法だ」と主張し、コロナを早く収束させたい狙いもあって訴訟に踏み切ったのだという。

しかしマスク着用に違和感を覚える筆者でも、同議員の行為には賛同できない。あまりに自分勝手ではないか。着用拒否にはたとえ理由があったとしても、他の乗客は等しく遅延の被害を受けた。もしかすると遅れによって約束が守れず、大きな仕事を失った人がいたかもしれない。

COVID─19が長引くことで、密閉空間でのマスク着用はすでに要請の域を超えて義務化している。それを批判するのであれば、マスクを堂々と着用しながらしかるべき相手に抗議すればよい。たとえ理不尽と思う要請や義務ではあっても、従うときには従うのが国民のつとめである。

ちなみにアメリカの場合、本年4月18日にフロリダ州連邦地裁は、アメリカ疾病対策センター(CDC)が飛行機内を含む公共交通でマスク着用を義務付けているのは違法、との判断を下した。それを受けて大手航空会社はすぐさまマスク着用義務を撤廃。国際線でも現地当局が義務付けていない場合は着用を求めないという。利用者の間では歓迎の声が上がった半面、不満を募らせる向きもあると報じられている。なお北米線のマスク着用を巡る欧州航空各社の対応はそれぞれに異なっているという。

これから暑い時期に向かう。日本人の顔からマスクがはずれるのはいつになるのか。女性用化粧品の売り上げも落ちているというではないか。

(次回は6月第2週号掲載)

〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。一般社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)ほか多数。最新刊『至心に生きる 丸山敏雄をめぐる人たち』(倫理研究所刊)。

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