倫理研究所理事長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第142回
筆者のデスクは都心のビルの10階にあり、その階にはちょっとしたテラスがある。壁側に植え込みがあって、季節ごとにささやかな花を咲かせる木もある。このビルに移ってきた7年前の夏のある日、フワフワと1羽の黄色い蝶が舞い込んできた。
スズメやハトと違って、蝶の飛翔力は弱々しい。よほど上手に風に乗らなければ、ビルの10階には登って来られない。その健気な蝶を見たとき、胸がキュンと音を立てた。昆虫の中に、昆虫ではないものの姿を見たように思ったからだ。
蝶は、世界中に広く分布していて、その種類は知られているものだけで約1万7600種といわれる。日本には約260種が棲息しているらしい。サナギから脱皮して美しい翅(はね)をもつ蝶が飛び立つことから、この昆虫は神聖視され、輪廻転生の象徴ともされた。仏具にはよく蝶の装飾が使われている。また桃山時代から蝶の紋様は、能装束や小袖に意匠された。不死不滅のシンボルとして、武士たちに愛好され、家紋にもなった。
他方、蝶のイメージが死や霊に関連するため、蝶を死霊の化身と怖れたり、不吉とみなす場合もある。花から花へと次々に飛び回る蝶の姿は、浮気者に例えられたりもする。しかし総じて海外でも、蝶は人の生と死と復活のシンボルであったり、霊魂の化身と神聖視されてきた。
蝶といえば思い出すのが、終末期医療やグリーフ・ケアの先駆者だったエリザベス・キューブラー・ロス(1926〜2004)である。幼い頃から生命の営みに強く惹かれて育ち、少女時代から一貫して、病める者や苦しむ者への奉仕と救済に献身する。
難民救済の奉仕団で赴いたポーランドのマイダネク強制収容所で、若きキューブラー・ロスは不思議なものを見る。虐殺された29万人もの子供たちが、人生の最後の夜を過ごした収容棟に入ってみると、その壁には子供たちが爪や石やチョークの破片で刻んださまざまな絵が残っていた。いちばん多く目にとまったのが蝶の絵である。どうして多くの子供たちが蝶を描いたのか、そのときの彼女はわからなかった。
やがて医師となって多数の死にゆく人を看取りながら、キューブラー・ロスは悟る。肉体はサナギのようなもので、それが修理できないくらい壊れてしまうと、内部の蝶、すなわち魂を解き放つのだ、と。彼女は言う──「学ぶために地球に送られてきたわたしたちが、学びのテストに合格したとき、卒業がゆるされる。未来の蝶をつつんでいるさなぎのように、たましいを閉じこめている肉体をぬぎ捨てることがゆるされ、ときがくると、わたしたちはたましいを解き放つ」(『人生は廻る輪のように』)
そのような死生観を筆者は気に入っているが、読者に押しつけるつもりは毛頭ない。ともあれ自分なりの死生観を持つことは大切である。なぜならとくに日本は、すでに「多死社会」に突入しているからだ。間もなく毎年の死者は150万人を超える。だれが、だれを、どう看取るのか。自分はどんな人生の最期を迎えたいか…。
今年は蝶の姿を目にしながら、死についてもっと深く考えてみたいと思う。
(次回は2月第2週号掲載)
〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。一般社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)ほか多数。最新刊『至心に生きる 丸山敏雄をめぐる人たち』(倫理研究所刊)。