倫理研究所理事長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第159回
5月の連休中、関東地方は快晴に恵まれ、風薫る好季節を堪能できた。その頃すでにあることが、人知れず急ピッチで進んでいたのである。連休後、顔見知りのレジ係がいる小売店でこう言われた。
「いま古いお札ばかりで、ピン札が入らないんです」
「そうなの、どうして?」
「7月に新しい紙幣が出るから、今のお札を刷っている時間がないそうですよ」
なるほど、まもなくお札を模様替えする準備が着々と進んでいたのである。
1万円札の肖像は、40年ぶりに福澤諭吉から渋沢栄一に替わる。2人とも幕末に生まれ、洋行経験があり、在野から明治日本を牽引してきた偉人である。
渋沢翁については、かつて拙著『倫理経営のすすめ』(現在は倫理研究所刊)に「倫理経営の先駆者」として書いたことがある。有名な翁のモットー「論語とソロバン」がそのことを如実に示している。
事業家として成功するかどうかを考える前に、人間としての日々の生活態度が肝要だと渋沢は諭した。処世の態度を貫くのは人生観である。翁の人生観とは「人がこの世に生まれてきた以上は、自分のためのみならず、かならず何か世のためになるべきことを為す義務がある」という信念だった。
そして渋沢は「淡泊な生き方」をよしとした。翁の実業界における業績はおびただしく、みずから「万屋(よろずや)主義」と称したように、あらゆる産業分野の新企業の設立に直接間接に関与し、およそ500社はあったと推定される。しかしそうした会社のほとんどを渋沢は所有せず、株も10パーセントは持たなかった。なろうと思えば容易に大財閥になれたのに、けっして自身の財を築こうとはしなかったところに翁の凄みがある。
今に残る渋沢翁の写真を見ると、円満な人格を表すように福々しい。実際、その日常の態度は、「偉大なる平凡」である孔子を理想と仰ぐ人にふさわしいものであったという。
しかし『論語』を指針としたからといって、謹厳実直を絵に描いたような道徳居士ではなかった。遊び事は好きで、とくに女性にはめっぽう弱かった。おそらく接した多くの女性たちが、翁から離れなかったのではないか。
明治の男である渋沢自身も「明眸皓歯(美しい女性)以外は俯仰天地に恥ずるものはない」と語ってはばからなかったという。その点を指摘されたときの妻・千代の弁がふるっている──「あの人には『論語』だからよかったのでしょう。そこに女への戒めは書いてありませんからね。『聖書』だったら大変だったでしょうに……」。
マネージメントの神様と称されたピーター・ドラッカーが渋沢栄一をこう評している──「経営の〈社会的責任〉について論じた歴史的人物の中で、かの偉大な明治を築いた偉大な人物の一人である渋沢栄一の右に出るものを知らない」(※)
そのような親しみ深い偉人が日本の最高額の紙幣に登場することに、多くの経営者たちが期待を寄せている。
(※)坂本慎一『渋沢栄一の経世済民思想』(日本経済評論社、2002)
(次回は7月第2週号掲載)
〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。一般社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)『至心に生きる 丸山敏雄をめぐる人たち』(倫理研究所刊)ほか多数。最新刊『朗らかに生きる』(倫理研究所刊)。