〈コラム〉白黒つける期間

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倫理研究所理事​長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第172回

旧約聖書に有名な「ノアの箱舟」の話がある。

人の悪が地にはびこったので、神は心を痛めて言った──「わたしが創造した人を地のおもてからぬぐい去ろう。人も獣も、這うものも、空の鳥までも。わたしは、これらを造ったことを悔いる」。しかし心の清いノアとその家族だけは許した。

神はノアに巨大な箱船を造らせてこう述べる──「あなたと家族とはみな箱舟にはいりなさい。あなたがこの時代の人々の中で、わたしの前に正しい人であるとわたしは認めたからである。あなたはすべての清い獣の中から雄と雌とを7つずつ取り、清くない獣の中から雄と雌とを2つずつ取り、また空の鳥の中から雄と雌とを7つずつ取って、その種類が全地のおもてに生き残るようにしなさい」

大雨が降り続き、洪水は40日もの間、地上にあった。水が増して箱舟を浮べたので、舟は地から高く上がった。神の言ったとおり、地の上に動くすべてが滅びた。ただノアと、彼と共に箱舟にいたものたちを除いて。

大洪水が徐々に引いて、箱舟が5000メートルを超えるアララト山頂に着いた日を、旧約聖書は7月17日と記している。なぜか日本でこの日は、祇園祭のクライマックスである山鉾(やまぼこ)巡行が行われる。長刀鉾を先頭に、23基の山鉾が京都市内を巡る。またその日の夕刻には、八坂神社の神輿(みこし)渡御も行われる。

祇園祭は平安時代の貞観年間に、京都を中心に大発生した疫病を鎮めるために始まったという。この祭には、船の形をした大きな鉾山車(ほこだし)がたくさん出るのも不思議である。

それはともかく、西洋史学者の故・木村尚三郞によると、ヨーロッパではノアの箱舟の故事にちなみ、「白黒つける期間は40日」と言われてきたらしい(『ヨーロッパからの発想』)。もちろん40日とはあくまで目安の期間だが、難題に決着をつけるまでの期間は、長すぎても短すぎても好ましくない。

なお、2020年にコロナパニックが発生したとき、日本では4月16日に、緊急事態宣言が全都道府県を対象に出た。それが解除されたのは5月25日で、ぴったり40日間である。たまたまそうなっただけのことだろうが、興味深い。緊急事態の宣言を出すには出しても、いつ解除を告げるかを判断するのは難しい。なかなか白黒つけられない状態に陥ったとき、40日を目処に考慮してみるのは一策だと思う。

しかし国家間の紛争や戦争になると、そう簡単には白黒つけられない。ロシアとウクライナの戦争はいつになったら終わるのか。イスラエルを中心とした中東情勢はさらに泥沼化していくのか。アメリカによるイランの各施設爆撃は迅速だったが、イスラエルとイランはたとえ停戦に合意しても、軍事衝突は今後も起こるだろう。

容易に白黒つけられない出来事もあるとわきまえながら、日常的には、状況を的確に見定めて、いたずらに先延ばししないよう心がけたい。失恋した人も心が落ち着くのは、40日目あたりからではなかろうか。

(次回は8月第2週号掲載)

〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。一般社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)ほか多数。最新刊『これが倫理経営─ダイジェスト・倫理経営のすすめ』(倫理研究所刊)。

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