倫理研究所理事長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第173回
混沌とした大変動の時代に、もっとも磨きをかけなければならない能力は「判断力」である。
判断力が鈍れば、ランチのメニューすらなかなか決まらない。躊躇するうちに仕事の好機を逸してしまう。判断力が欠落した人間は、誰も相手にしてくれない。判断力が不能になれば、人類は滅亡するしかないだろう。
大地震のような災害でも、いざその時の咄嗟の判断力がものをいう。防災訓練やシミュレーションを通して、平素から鍛えておく必要がある。
情報過多の社会はストレスが多い。しかも真偽不明な情報があふれかえっている昨今は、心を病む人たちが増えている。そんな状況を切り抜けていくためにも、判断力を磨いておきたい。
先の参議院選挙でも、SNSは大きな力を発揮したが、直ちには見抜けないフェイクニュースがどれほどあったことか。まぎれもない違法行為の誹謗中傷もあった。たとえば選挙期間の後半になって、躍進する参政党をやり玉に挙げ、「ロシアの手先だから投票するな」という怪情報がSNSで流れた。
筆者は都内のJR四ツ谷駅を利用しているが、投票日の3日前の夕刻、同駅を通りかかったら、黒い帽子にサングラスをかけた男が「参政党は危ない。投票するな」と書かれたプラカードを手に、マイクで繰り返し怒鳴っていた。そんな実働部隊まで派遣する組織があるのには驚く。
今年になると「7月5日に日本が大津波に呑み込まれる」という予言がまことしやかに流布し、台湾や香港からの訪日客まで激減したという。予言を信じたい人は信じたらいいが、まともな判断力の持ち主ならば、根拠のない予言や妄言に翻弄されることなどない。
では、判断力を磨き高めるにはどうしたらいいか。
まずは当然ながら、正しい知識を持つよう努めることだ。自然科学に立脚した知識はおおむね正しい。ただしグレーゾーンはいくらでもある。世の中の常識が正しいとも限らない。思い込みがどのくらいあるかないか、自分の知識を折々にチェックしたいものだ。
次に、豊富な経験を持つことである。それは、いろいろな職業に就くとか、あちこち旅行をするとか、多様な世界を経験することではない。肝心なのは、そのときその場でいかに創意工夫を凝らしてきたか、である。人生を深く生きる経験を豊富に持つ人には、すぐれた判断力が身につく。
判断力を高めるもう一つが、直感を鍛えることである。直感とか気づきは、はたらかせようとしても難しい。自然に心にピンとひらめくものだから、集中力を養ったり、逆にリラックスして「明鏡止水」の心境を保つよう工夫したい。
「人間の心は何ものかを信ずる必要がある。信ずべき真実がないとき、人は嘘をすら信ずるのである」──これは19世紀スペインのジャーナリストで風刺作家だったマリアーノ・ホセ・デ・ラーラ(1809〜37)が遺した言葉である。
(次回は9月第2週号掲載)
〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。一般社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)ほか多数。最新刊『これが倫理経営─ダイジェスト・倫理経営のすすめ』(倫理研究所刊)。