〈コラム〉浄土を観ずる

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倫理研究所理事​長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第84回

子供が太陽を描くとき、赤色や朱色で塗るのは日本人だけだという。かつて世界の子供たちの絵画を展示するイベント会場にたまたま足を踏み入れたところ、その通りなのに驚いた。外国の子供は太陽を描くとき、たいがい黄色に塗る。輪郭だけで白のままにする場合もある。

ではどうして、日本人の子供は太陽を赤や朱に色づけるのだろう。そもそも上空に照り輝く太陽は、まぶしくて見つめられない。白っぽい黄色の強い光を発しているように思える。しかし太陽が赤っぽく見える時はある。朝方と夕方だ。日本人の子供はその時の太陽を描いているのだろう。

誰が教えたわけでもないのに赤や朱で太陽を描くのは、精神の遺伝子(?)のなせるわざであろうか。古来、日本人は朝陽に真向かうと、柏手を打って拝んだ。夕陽に対しては、西方の極楽浄土を想い、手を合わせて拝んだ。

余談だが、大人はあまり絵の中に太陽を描かない。描くのは精神を病んでいたり、その境界線にある人ばかりだという。ゴッホは黄色の太陽を好んで描いた。ムンクの場合は統合失調症の苦しみから解放されるとき、太陽の光のみを巨大な壁画にした。

回り道をしたけれども、述べたいのは浄土のことである。日本の仏教で浄土(常寂光土)の所在は二様に説かれてきた。一つは、お釈迦様の生誕地のインドを指し、西のはるか彼方にあるという。

もう一つは、「いま・ここ」にこそ浄土はあると教える。現在を穢土、すなわち弱肉強食のけがれた修羅場と思うか、それとも光に満ちた麗しい浄土と観ずるか──。心のありようで世界が違って見えてくる。

煩悩の多いわれわれだから、極楽浄土には常住できそうにない。けれども現在を浄土と観ずる心の眼を養うよう努めると、身の回りの存在に光が当たるだろう。

たとえば、ここには自社の建物があり、従業員がいて、商品がある。顧客も取引先もいれば、親しい友人たちもいる。いま住んでいる家があって、家族がいる──なんと有り難いことか。そうやって自分の周辺に光が当たると、間違いなく相手への接し方が変わってくる。

目に見えないサービスも含めた自社の商品に光が当たれば、さらに磨きをかけたくなるだろう。グレードアップはいくらでもできる。自分を取り巻く人々に光が当たると、ますます愛しく大切に思えてくる。その思いは、かならず行動に現れる。挨拶でも返事でも、言葉ひとつの響きが、確実に変わってくる。

なにより自分自身に光が当たれば、潜在していた能力やパワーが吹き出す。ピンチをチャンスに反転できるようになる。

古来、歴史に名を残すような大仕事を成し遂げた人たちは、無欲至誠だった。理想を高く掲げ、「いま・ここ」を生きるのに全力投球し、明朗快活に振る舞った。その人の周辺は光っていただろう。天はそういう人を応援するらしい。

いまが最高、ここが一番──そう観じる心の眼を養うところに、活路はひらけてくる。浄土はおそらく、はるかな遠い所にあるのではないだろう。

(次回は4月第2週号掲載)

丸山敏秋

〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『「いのち」の輝き』(新世書房)など多数。

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