倫理研究所理事長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第94回
藤沢周平の短編小説「昔の仲間」(『神隠し』所収)では、冒頭で主人公の宇兵衛が、胃の腫瘍のために半年の命だと医者から告げらる。年齢は58歳。死を覚悟した宇兵衛は、呆然としながらも、残された時間に何をすべきか考える。
縁談が決まった娘の祝言を早めてもらおうとか、30両の借金を早く返さねばとか…。「あと、やっておくことはないか」と思案するのだが、たいしたことは思い浮かばない。「意外に少なかった。あっけない気がし、宇兵衛は少し淋しい気もした」と藤沢は書いている。はて、自分が宇兵衛だったらどうであろう。
秋元康に『象の背中』と題した小説があり、映画化もされた(主演は役所広司、2007)。順風満帆に暮らしていた48歳の中堅会社員が、突然、末期の肺がんを告知され、「残された人生に何をすべきか」を必死に探りながら全うしていくというストーリーである。
喧嘩別れした中学時代の友人に詫びを伝えたり、初恋の人に会いに行って「君のことが好きだったんだ」と告白する。今にも死にそうな自分をホスピスで看病する妻には、ラブレターを渡して、きちんとしていなかったプロポーズを改めて果たす。この場面、涙なくして観られるものではない。
スイスに生まれてアメリカで精神科医として働き、終末期医療の開拓者となったのが、エリザベス・キューブラ・ロス(1926~2004)だった。彼女は2万を超える死にゆく人々向き合うことで「人は死んでも、存在の様式を変えるだけで、存在しつづける」と確信する。そして死期を迎えるまでに、人は何を為すべきかを提示した。
「やり残した仕事を片づけてしまえば、すなわち、それまで抑えていた憎しみや欲や悲しみなど、否定的なものをすべて吐き出してしまえば、あなたは気づくでしょう。──20歳で死のうが、50歳で死のうが、90歳まで生きようが、もう問題ではない、もう何も心配することはないのだと」(邦訳『死ぬ瞬間と死後の生』)
この「やり残した仕事」を見つけてやり遂げることが、とくに人生の後半には大事なつとめであり生きがいにもなる、とキューブラ・ロスは訴えた。その「仕事」はもっと具体的には何があるか。彼女はこう書いている。
(1)悲しみや怒りや嫉妬などのマイナスの感情を内面に貯めこんでいるとしたら、それはやり残した仕事をつくる元になる。
(2)「いい経験を他人と分かち合わなかった」というのも、やり残した仕事になる。
(3)自分に大きな影響を及ぼし、生きる目的や意味を教えてくれた先生がいたとして、なのに一度もその先生に御礼の言葉を述べていなかったとしたら、それもやり残した仕事である。
どうであろう。死ぬのはまだまだ先と思っている人でも、過去に思いを巡らせればいろいろ見つけられるのではないか。
先ごろ高齢者の仲間入りをした筆者には、この「やり残した仕事」が切実な課題となってきた。人生100歳時代だと言われていても、死期がいつなのかは誰にもわからないのだから。
(次回は2月第2週号掲載)
〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『ともに生きる』(倫理研究所)など多数。