倫理研究所理事長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第49回
ある農夫が、早く起きて畑を耕そうとした。そろそろ新種の作付けの時期だ。するとトラクターの燃料が切れていたので、近くまで借りに走った。戻ると、ブタに餌をやるのを忘れていたのを思い出し、納屋に餌を取りに行った。
ひょっと横を見ると、収穫したジャガイモが発芽している。こりゃいかんと芽を取っているうち、囲炉裏の薪がなくなっているのを思い出した。薪の束を手に母屋へ向かう途中、ニワトリが妙な声で鳴いているのが聞こえる。病気にかかったらしい。とりあえずの処置をして、母屋に薪を運んでいくと、もうトップリと日が暮れていた。「ヤレヤレ、なんとせわしい一日だったろう」と振り返りながら気づいた。「アレアレ、畑仕事がひとつも出来なかった」と。
笑えない話である。私たちの日々の生活でも、似たようなことがよくある。不測の事態が発生するのは仕方がないとしても、なにかと気ぜわしい。携帯電話やメールは実に便利だが、それに振り回されてしまう。些細なことに気を奪われ、大事なことが疎かになりがちである。
かつて文藝評論家の亀井勝一郎が「近代文明の異常な性格」について書いた。そこには三つの性格が指摘されている。
第1は「濫用」である。現代人は異様な刺激に取り囲まれ、その刺激が加速度的に増えていくことで中毒状態に陥り、精神が頽廃するという異常状態を呈している。「性」に対する過度の刺激はその典型で、ジャーナリズムの魔術的な力がこの「濫用」を煽っている。
第2は「急速度化」である。早く速くが求められ、とにかく慌ただしい。交通機関の発達は目覚ましいが、「よく見ればなずな花咲く垣根かな」(芭蕉)のような句は生まれようもない。単に見ることから、観察して咀嚼することでもたらされる精神力の深みを、急速度化は奪ってしまう。
第3は「好奇心の分散化」である。亀井いわく――「現代人とは、おそろしく性急で多忙な人種らしい。好奇心も性急さも精神に必至の機能にはちがいないのですが、問題はその分散性です。何でも少しずつ知っているが、深い確かなことは何ひとつ知らぬという不安に我々は脅かされていないでしょうか」。
亀井勝一郎が近代文明の異常な性格として3点を指摘したのは、なんと、昭和17年、1942年である。あれから70余年が過ぎ、異常さはいよいよ昂じている。それに気づかないほど、われわれの感覚は麻痺してしまったのかもしれない。深い確かなことを知らない不安に対してすら…。
自分がすぐにでもできる対応策としては、「今を精一杯生きる」ことしかない。一日は今の連続、一生は今日の積み重ねである。今をおろそかにし、今日を漫然と送ったら、一生を取り逃がすことになる。
目覚めは誕生、就寝は臨終の時だと覚悟して、今日一日に全精力を傾けたい。今を生きることに感動や満足を見出せれば、それが明日への活力になる。
「なんといふ今だ。今こそ永遠。この世このまま、大調和」――陶芸家・河井寛次郎が残した名言の一つである。
(次回は5月第2週号掲載)
〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『「いのち」の輝き』(新世書房)など多数。