倫理研究所理事長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第52回
中国の後漢の時代に班超という軍人がいた。歴史家の家に生まれ、幼い頃は兄と一緒に歴史を学んでいた。役人になった兄に従い、一家は国都の洛陽に移る。貧しい暮らしだった。しかし班超は天賦の軍事的才能に恵まれていた。
異民族の北匈奴を征伐するとき、参軍した班超は大活躍する。そののち西域の善善という国に使者として赴いたとき、初めは歓迎されたのに雲行きが怪しくなった。仇敵の北匈奴の手が回っていたのだ。このままでは殺される。班超は怯える部下たちに「虎穴に入らずんば虎子を得ず」と勇気づけ、北匈奴の一団に奇襲をかけるや、わずかな軍勢で大勝した。
あえて危険をおかさなければ大きな成功や功名は得られない。――班超のそのときの叱咤は、諺(ことわざ)として後世に伝わる。「当たって砕けろ」もそれに近い。しかし真逆な諺もある。「石橋を叩いて渡る」はよく聞く。「命あっての物種」とも言う。
北原白秋が作詞し、山田耕筰が作曲した「待ちぼうけ」という唱歌(童謡)がある。中国古典の『韓非子』に載る説話をもとにしている。ある農夫の畑の隅の切り株にウサギがぶつかり、首の骨を折って死んだ。獲物を持ち帰ってごちそうを食べたその農夫は味をしめ、次の日からは鍬を捨ててウサギを待っていたが、二度と来ない。そのために作物は実らず、彼は国中の笑いものになった。
古い習慣から離れられない人を揶揄した「守株」の成句は、今にも通じる。しかしまた、新しもの好きがよいともかぎらない。ウサギが登場する諺では「二兎を追うものは一兎をも得ず」が知られる。「虻蜂取らず」も同義。英語には「二つの腰掛けの間で尻餅をつく Between two stool the tail goes to ground.」という面白い諺がある。しかし他方では、「一挙両得」とか「一石二鳥」とも言うので困ってしまう。
そもそも諺や金言成句の世界は、矛盾でいっぱいだ。「急がば回れ」と言うし、「善は急げ」とも言う。「大は小を兼ねる」ケースは実際に多いが、「杓文字(しゃもじ)は耳掻きにならぬ」のも確かだ。「イヌは三年恩を忘れぬ」そうだが、「飼い犬に手を噛まれる」こともある。「三人寄れば文殊の知恵」となればよいが、「船頭多くして船山に登る」となりかねない。「好きこそものの上手なれ」はその通りだが、「下手の横好き」も事実であろう。「ウソつきは泥棒のはじまり」と諭すと、「ウソも方便」と返されてしまう。
真面目に考えると、どっちが本当なのか困惑せずにおれない。これはいったいどうしたことか。
矛盾したように思われる諺のたぐいは、どちらも正しいのである。複雑な人生の一面を見事に言い当てたもので、どれも真実なのだ。人生そのものが矛盾に満ちているとも言えよう。
だから、物事の一面だけを捉えて、それがすべてだと判断してはならない。矛盾も反対物もおおらかに抱き込んで、臨機応変に対処する。そんな器量があれば、どんな諺も生きた知恵になってくれる。
(次回は8月第2週号掲載)
〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『「いのち」の輝き』(新世書房)など多数。