〈コラム〉神々の微笑

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丸山敏秋「風のゆくえ」第32回

明治23(1890)年に来日したラフカディオ・ハーンは、小男で風采はあがらず、しかも隻眼だった。16歳のときに遊戯中、ロープの瘤が当たって片目が潰れてしまったのだ。4歳までギリシャ人の母親から溺愛されて育つが、両親の離婚により、父方の親戚に預けられる。そこから彼の不幸が始まった。母親と生き別れ、夜な夜な妖怪変化に悩まされたという。
19歳の時にアメリカへ単身移民したハーンは極貧生活に苦しむが、しだいに文才を発揮し、ジャーナリストとして注目される。来日したときは39歳、結婚経験はない。数々のコンプレックスを持っていた彼は、日本でようやく安らぎを得る。島根県松江にはわずか1年3カ月の滞在だったが、54歳で没するまで生涯この地を愛した。士族の娘である小泉セツという最愛の伴侶を得たのも、松江でのことだった。
「八雲立つ」を枕詞とする出雲地方に住んだハーンが驚いたのは、古代ギリシャと同じ多神教が、まだこの地球上に存在し、人々の生活の中に生きていることだった。彼は出雲大社にも訪れ、昇殿参拝を許された初の外国人となる。彼がいちばん心配したのは、近代化していく日本から、古き良き生活文化が失われていくことだった。
「だがその過去へ――日本の若い世代が軽蔑すべきものとみなしている自国の過去へ、日本人が将来振り返る日が必ず来るであろう」(『日本人の微笑』)
このハーンの「予言」が当たったかのように、最近の日本では過去の良さを見直す動きが顕著になってきた。とくに今年は伊勢神宮と出雲大社の「ご遷宮」が重なり、予想をはるかに超える参拝者が押し寄せている。伊勢神宮では年間の参拝者を、1000万人という予想から1300万人と上方修正しなければならなくなったという。
先月、筆者は期せずして伊勢と出雲の両方に赴いた。神宮の新しい正殿は光輝き、お参りするまで長い列に並ばなくてはならない。出雲大社も大変な人出で、例年の3倍だという。参拝者には若者や家族連れが目立つ。誰もが晴れがましく、にこやかである。鳥居をくぐる時と出る時に、若い男女がきちんと一礼している。それも、嬉しそうに。ハーンは先の引用文のあとにこう書いている。
「その時になって日本人は昔の世界がどれほど光輝いて美しいものであったか、あらためて思い返すに相違ない。(中略)とくに古代の神々の顔を見、表情を見なおして驚くに相違ない。なぜならその神々の微笑はかつては日本人自身の似顔絵であり、その日本人自身の微笑でもあったのだから」
イマジネーションの豊かなハーンは、英訳された『古事記』を読んで、神々の顔が見えたのであろう。
お祭りの意義は、神々が喜ばれるものを捧げ奉(たてまつ)ることにある。最大のお祭りであるご遷宮が終わり、伊勢と出雲の神々は新たなパワーを得て、喜んでおられるに違いない。参拝者たちの嬉々とした微笑が、それを証明している。
日本はよみがえるのではないか。――そんな期待が高まってくる今年である。
(次回は12月第2週号掲載)
maruyama 〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『今日もきっといいことがある』(新世書房)など多数

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