〈コラム〉相手の鏡に映る自分

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倫理研究所理事​長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第56回

ギリシア神話にナルシスという美青年が登場する。深山の泉で水を飲もうと顔を近づけたら、鏡のような水面に美しい水の精の面影が映った。ナルシスはその精霊に恋し、泉のほとりを去ることができず、やせ衰えて死んでしまう。なんのことはない、わが身を恋したにすぎなかったのだが。

鏡にまつわる話として、日本にはこんな昔話がある。越後の山人が、あるとき訴訟の用事で京の都に上った帰りに、鏡を土産に買って愛妻に与えた。妻はそれまで鏡など見たこともない。めずらしく思って鏡を覗き込むと、見目麗しい女の影が映るではないか。彼女はたちまち激しい嫉妬心をおこし、これは夫が都で戯れて連れ帰った女だと、烈火のごとく怒って夫をなじったという。

鏡に映るわが顔の反応でも、これほどにちがう。万人の心にナルシスは住んでいるし、嫉妬心も宿っている。それだけに、自分の姿や心を映し出す鏡は昔から畏れられ、神霊の依り代としても大切にされた。古くは「かがみ」が「可我見」とも漢字表記された。

自分が映るのは、日用道具の鏡だけではない。顔形ではなく、心のありようを映し出す鏡が、自分の周囲にいくらでもある。日々関わる人たちがそれだ。ニコニコ話しかけると、相手も笑みかけて答える。大声で怒鳴れば、ムッとにらみかえされる。相手の姿は、自分が映った鏡のようなものではないか。

とりわけ自分との関係が深ければ深いほど、相手はわが心を実によく映してくれる。たとえば家に反抗期の子がいたとしよう。少しも言うことをきかず、なにかにつけて親に抵抗する。子供に腹を立てたり、なんとかしようと躍起になったり、親の心の目はたいてい子供にばかり向きがちである。

そういうときこそ鏡を思い出すのだ。反抗する子をわが鏡だと見る。そこに、親である自分が映っていないだろうか。きっと何か見えてくる。夫(妻)に対する不平不満、自分の親に対する恨み心、仕事や家事を嫌がる気持ち、誰かに対する反発心…。みな同じである。

そもそも、相手の欠点が気になって仕方がないというとき、それと似たものが自分の中にも潜んでいるのだ。自分になければ、相手の中にそれは見えない。ないものは映らないではないか。

「人の振りみてわが振り直せ」と昔から教えられてきた。さらに積極的に、人は「鏡」であり「わが師」と心得、自分を反省して改めたらどうだろう。自分が変われば相手も変わる。その逆ではない。

子は親の心を実演する名優であり、夫婦は向かい合った反射鏡なのだ。「人は鏡」の基本原則をわきまえていれば、どれほど人間関係が改善されるであろう。

さらに鏡の原則から、美しい自然や書画や音楽に触れて感動することが、いかに大切であるかもわかる。美しい対象は、わが心を映す鏡として、ふだんは気づかずに眠っている自分自身の美しさ、「魂のよさ」を引き出してくれる。修行の場は深山幽谷にあるのではない。日々刻々の日常にこそあるのだ。

(次回は12月第2週号掲載)

丸山敏秋

〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『「いのち」の輝き』(新世書房)など多数。

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