丸山敏秋「風のゆくえ」第30回
イチローの日米通算4千本安打達成は、手放しで賞賛できる快挙である。日本のプロ野球にはこの数字を達成した選手はおらず、米大リーグ(MLB)でも2人しかいない。この偉業は、イチローが常に一軍選手としてグラウンドに居たからこそ成し遂げられたものだ。それがどれほど大変なことか。ケガが少ないだけでもいかに日々心身を鍛え、コンディションの調整に細心の注意を払ってきたかわかる。
以前小欄に「偉大なるマンネリズム」と題してイチローのことを書いた。彼は自分流の型を工夫し、プライベート生活も含めて、ストイックに自身を型の中に押し込んできた。同じ所作をくり返すマンネリズムが、潜在能力を引き出す秘密であることを彼は知っている。4千本をはじめとする大記録は、その証しにほかならない。
「『たのしんでやれ』とよく言われますが、ぼくにはその意味がわかりません」――並のスポーツ選手とは異なる次元を生きているイチローの至言である。だから彼は修行僧のようだと評される。修行は楽しむためでなく、「極める」ために行うのだ。間もなく40歳になるイチローの白髪頭とこけた頬が、修行の厳しい道程を物語っている。
「特別なことをするためには普段の自分でいられることが大事です」――これもまた至言といえよう。早くから自我が確立しているイチローは「普段の自分」を知っている。そこがすごい。鈴木一朗とイチローとは同じ人間だということである。
そのイチローは、きわめてこだわりが強い。かつてのインタビューで長所を訊かれ、「物を大事にすること」と答えていた。野球道具はもちろん、衣服でも財布でもクツでも車でも、彼は自分の持ち物を徹底して大事にする。少年野球の頃から、練習後にはどんなに疲れていてもグラブの手入れを怠らなかった。その習いは「性」となっている。三振してもバットを叩きつけたりは決してしない。物を大事にする人は、物からも大切にされるのであろう。大記録達成の秘密は、そんなところにもある。米スポーツ界ではイチローの4千安打が激賞された反面、日本の記録との合算であることにクレームもつけられたという。それは本人自身がいちばんよく知っているはずだ。メジャー通算3千安打が、もう次の目標になっているであろう。インタビューで(通算)5千本安打の可能性について尋ねられたときには、「年齢に対する偏った見方がなければ、可能性はゼロではない」と語っていた。慎重な表現だが、恐るべき自信をのぞかせている。
「夢は近づくと目標に変わる」――そう言い放ったことのあるイチローは、着々と夢をかなえてきた。その姿が、われわれに勇気も希望も与えてくれる。(次回は10月第2週号掲載)
〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『今日もきっといいことがある』(新世書房)など多数