丸山敏秋「風のゆくえ」第23回
西郷隆盛(南洲)は言わずと知れた明治維新の大功労者である。その一生は波瀾万丈。幕府打倒に軍功があっただけではない。新政府に呼び戻されると、事実上の「西郷内閣」を組織して手腕を発揮した。どうして明治10年に西南戦争を起こし、城山の露と消えたのかについては謎が多い。
西郷は「華美」や「驕奢」をひどく嫌悪した。盟友の大久保利通や大隈重信が豪邸をかまえ、政府の重鎮たちが遊興に耽っているときでも、西郷だけは質素な生活を変えなかった。
そして彼は情に厚い。死地に赴くことを躊躇しなかった。その徳望は全国に及んだ。今でも「さん」とか「どん」を付けて呼ばれる維新の功臣は西郷だけであろう。
昨年から西郷隆盛の「南洲翁遺訓」を深く味わう機会を得た。岩波文庫でわずか15頁とわずかな分量だが、41箇条のそれぞれに興趣がある。1冊も著書のない西郷の考えを知るには、この遺訓が頼りになる。戊辰戦争で敵対した庄内藩士たちが、敗戦後の西郷の寛大な処置に感激し、薩摩まで赴いて聞き書きした事柄をまとめたものである。その第20条にはこうある。
「どんなに制度や方法を論議しても、それを実施する人が立派でなければ、うまく行われない。立派な人があってはじめて色々な方法は行われるのだから、人こそ第一の宝であり、自分がそうした立派な人物になるよう心掛けるのが肝要である」(筆者現代語訳)
なんの変哲もない言葉と思えるかもしれない。しかし、まず自分が立派な人物になるべく心がけるのは、なかなか出来ることではない。変革を求める人の多くは、外向きになる。制度や仕組みを変えようとする。しっかり内側を向いて、自分自身を変えようとはまずしない。
西郷のその言葉を読んだとき、古代ローマの第16代皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌス(121?180)を思い出した。ストア哲学などの学識に長け、よく国を治めたことから、五賢帝の一人と称えられた。「哲人皇帝」とも呼ばれる。
彼の『自省録』という著作は今でもすぐ入手できる(たとえば岩波文庫)。もともと12巻の全編がギリシア語で書かれた。そこに次のような言葉があるのだ。
「よい人間とはどういうものかという論議はいい加減で切り上げて、よい人間になったらどうか」
なんだ、西郷隆盛と同じことを言っているではないか。マルクス帝が信奉したストア哲学は、死に対する心の平静や、禁欲を重んずる倫理を説いた。それも、死を恐れず、清貧に甘んじた西郷の生き方と似通っている。
人生の急所を押さえた教訓に、古今東西の隔たりはない。あるのは、それを実行する人がいるかいないかだけであろう。
(次回は3月9日号掲載)
〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『今日もきっといいことがある』(新世書房)など多数。