丸山敏秋「風のゆくえ」第20回
今年の7月、イチローのヤンキース移籍という報道に誰もが驚いた。ファンからはさまざまな声が寄せられた。| |「まったく信じられない」「彼を出すなんて、シアトルは気が狂ってるのか」「残念だ、キャリアの最後をマリナーズで締めくくれないとは」「やった、ヤンキースのイチローをずっと願っていたんだ」…。 いかなるスーパープレーヤーも年齢には勝てない。今季はさすがのイチローも不調だったが、新天地でそれなりに活躍。リーグ優勝決定シリーズではタイガースにまさかの4連敗を喫したものの、貢献度は高かった。 イチローが2000年に大リーグ行きを発表したとき、野球評論家たちはこぞって「活躍は無理」と断言していた。ところが1年目から、オールスターゲームにファン投票で出場するほどの大活躍。以後の華麗な戦績はここに記すまでもない。 イチローは努力の人であり、悟りをめざす修行僧のようだ。努力なくして天才は開花しない。ほとほと感心させられるのは、同じことを倦まず繰り返す忍耐力である。 朝昼兼用の食事は、例外なく弓子夫人の手作りのカレーライス。グラウンドでの練習メニューはいつも同じ。試合では打順を待つ間にかならずベンチ中央右横に陣取る。打順が近づくと、バットを体に同化させるかのように太ももにこすりつける。バッターボックスでの仕草も毎回変わらない。ヒットを打つと、塁上でヘルメットの耳の穴に指を入れる…。 同じ所作の繰り返しが妙技を引き出すことは、型を重んじる稽古の世界で広く知られている。ひたすら同じ動作を繰り返すうち、いちいちの動作から心が離れ、自由自在に技が繰り出せるようになり、「我もしらず」という境地に至るというのだ。 イチローも自分流の型を工夫し、ストイックに自身をその鋳型の中に押し込んできた。プライベートな日常生活においてまで、同じであることを心がけている。なかなか真似できることではない。そこに達人の秘密がある。 同じ所作の繰り返しは、マンネリズムにほかならない。しかし「道」を極める稽古のそれは「偉大なるマンネリズム」である。無意識をコントロールして潜在能力を引き出すには、それが最適だという。忍耐力を支えるのは、強烈な目的意識である。 今年2月、筆者も編集委員の一人となった『13歳からの道徳教科書』(育鵬社)が刊行された。そこには小学6年生だったイチローの作文を収めてある。「一流のプロ野球選手になる」と少年は夢を綴った。彼は努力を重ねて念願を叶え、なおも頂上を極めるべく努めている。 チームがどこであろうと、イチローの勇姿をまだまだ見たい。 (次回は12月8日号掲載)
〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『今日もきっといいことがある』(新世書房)など多数。