丸山敏秋「風のゆくえ」第9回
日本画ではまず影を描かない。だから遠近法を取り入れた近代絵画と比べると、日本画はベッタリした感じがする。どうして影を描かないのか?
かつて文芸評論家の山本健吉氏が、この謎に挑んで明言した――それは影は「たましい」だからだ、と。「たましい」に対する畏怖の思いが、影を描かせないのである。人だけでなく、万物が生きているから「たましい」を有する。そう考える日本人にとって、「たましい」の現れである影を絵に描くのはタブーだった。
しかしまた日本の文化では影が重んじられる。陰影(陰翳)が織りなす光景は、風情があると喜ばれた。光のことを「かげ」とも呼ぶ。「あさかげ」とは朝の光のことである。
そしてわれわれは日常的に「おかげさま」という言葉を多用する。その「かげ」とは恵みのことだ。多くの人々の隠れた働きがあって自分は生かされている。仕事もできる。そうした目に見えない恵みに感謝する言葉が「おかげさま」である。
「お元気ですか?」
「おかげさまで」
「仕事は順調ですか?」
「はい、おかげさまで」
この「おかげさま」を他の国の言葉で正確に翻訳するのは困難だろう。そうした翻訳不可能語が日本語にはまだまだある。
「もったいない」を世界語にしようと提唱したケニアのワンガリ・マータイ女史が今年の9月に亡くなった。環境分野の活動家としては初のノーベル平和賞を2004年に受賞した彼女は、日本語の「もったいない」を知って感激したという。そして英語にもスワヒリ語にも訳せないこの言葉を、そのまま使おうと提唱したのである。マータイさんの遺志を受け継ぎ、「もったいない」を世界中で使ってもらうよう働きかけたいではないか。
「ありがとう」という言葉も、本来は「サンキュー」とか「シェーシェ(謝々)」に置き換えられない。それだと「難有り、すなわち有り難し」という意味あいが伝わらなくなってしまう。日本人もふだんはそう意識して使っているわけではない。けれども「ありがとう」「ありがたい」を日に幾度も口にしていると、感謝の思いや、困難を乗り越える勇気がおのずと高まってくる。「ありがとう」は自然災害の多い島国に暮らしてきた先祖からの、尊い贈り物ともいえるだろう。
「お互いさま」という言い方もそうだが、他の言語への翻訳が難しい言葉には民族の気質や伝統的精神が込められている。安易に置き換えたりせずに、そのまま堂々と使ってはどうだろう。その言霊はきっと相手に伝わる。
異文化交流が盛んな時代であるからこそ、母国語に対する言語感覚をもっと磨こう。実践を伴った言霊の使い手はリーダーとして尊敬される。
(次回は1月14日号掲載)
〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『今日もきっといいことがある』(新世書房)など多数。