丸山敏秋「風のゆくえ」第1回
嵐の予感がする。
荒く激しく吹く風、それが嵐だ。世界のそこかしこで、強い風が吹いている。日本でもアメリカでも、そして私たちの足下でも。やがて世界中を巻き込む嵐になりそうだ。その嵐は、人類をどこに連れて行こうとするのだろう。
風とは、空気の動きである。だが、それだけではない。
「浮き世の風は冷たい」という。身近な人々の視線や思惑も、風となって感じられる。風当たりが強いときには、慎重に対処しなければいけない。「臆病風に吹かれる」ともいう。そぶりや態度は風となって伝わる。先輩風を吹かしていると、いずれガツンとやられる。
風流という言葉もある。その風は得体が知れないけれども、人が憧れるような雰囲気を醸してその場を流れていく。先人が遺した流儀も風流といい、地域には風習がある。
風にはかくも多様な意味があり、思うだけでも楽しい。そして、いろいろな風のゆくえが気になってくる。それを考えてみるのが、この連載のねらいである。
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日本にはまだ、吹き抜けることのない風が渦巻いている。深い悲しみを乗せた風である。
まったく空前絶後の大災害だった。超弩級の地震と津波、さらには原発の放射能漏れの恐怖が加わった。世界初の「原発震災」が日本で起きたのである。
塗炭の苦しみにあえぐ北国の被災者に、無情の雪を運ぶ風も吹いた。それでも人々は奪い合うどころか、進んで分かち合い、秩序を保ちながら、じっと耐えつづけた。
放射能を運ぶおそれのある風が吹き、東京都民までも震え上がった。まさしく風のゆくえを気にしながら、東日本では不穏な日々がつづいた。
火力や水力による発電の一部を休止してまでも、原発に頼る必要がどこにあったのか。
人為による地球温暖化説はすこぶる怪しい。昨年6月に日本政府が発表した「エネルギー基本計画」では、新たな14基以上の原発を設けることになっていた。見直しは必至である。もはや嵐と化した国民の疑念と不安は抑えられない。
産業革命以来の近代文明は、大地の奥から掘り起こした石炭や石油やウラニウムなどの資源に依存してきた。これからは環境を悪化させ、生命を脅かすエネルギー源に頼らない文明へとシフトしなければならない。技術大国日本にはその先駆けとなる使命があるのではないか。「和」を重んじる共生の精神を、もっと世界に発信すべきではないか。
未曾有の大震災で犠牲になられた数万の御霊が、日本に渦巻く悲しみの風に宿り、われわれの行く手を見守っているのを感じる。
(次回は5月14日号掲載)
〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『今日もきっといいことがある』(新世書房)など多数。