倫理研究所理事長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第75回
「マネージメントの父」とか「20世紀を代表する賢人」と畏敬されたピーター・ドラッカーは、2005年に95歳で大往生を遂げた。いまだに日本でドラッカーの人気が高いのは、彼自身が日本に対して好意以上の感情を抱きつづけたことの反映かもしれない。20代の半ばにドラッカーは日本画の虜となり、生涯の愛好家となった。とくに室町時代の水墨画や、江戸時代の禅画や南画を好んで収集した。
1979年にドラッカーは、蘊蓄を傾けて日本画に関する論文を書いた。その中に「日本画は動物画では世界一だ」という指摘がある。西洋には動物を描く画家はあまりいない。なのに日本では、ほぼすべての画家が動物を描く。とりわけ生き生きした鳥の絵は、日本特有の価値観や知覚を表現している。その本質は、「純粋に喜ぶ能力」だと賢人は述べた。
たとえば、日曜日の公園で子供と遊ぶ若い父親には、そうした純粋な喜びを見出せる。お花見や盆踊りで、大人たちが子供のように喜びを発散するのもそうだ。そうした一種の直接性が、日本の文化芸術には充満しているとドラッカーは看破した。
しかし今はどうであろう。かつての日本人が普通に持っていた「純粋に喜ぶ能力」は、めっきり乏しくなったのではないか。遊びの達人であるはずの子供たちからして、その能力は削り取られている。自由に遊べる空き地も、遊び仲間も、周囲には少ない。「知らない人から声をかけられたら逃げなさい」─ ─そう諭さねばならないような世の中になると、「純粋に喜ぶ能力」を育むのは難しい。
遊びだけでなく、日本人は元来、仕事に生きがいを感じてきた。耐えがたい過酷な労働は別としても、働けることが嬉しかった。ましてや創意工夫をこらして技術力を高めるものづくりの仕事は楽しくてならない。持ち前の「純粋に喜ぶ能力」が仕事の現場で十二分に発揮された。だがそうした手仕事もどんどん機械に奪われてしまい、もうずいぶん前から職人の間で深刻なモラルハザードが起きている。
早くにドラッカーが指摘した通り、産業革命が浸透した世界は、知識社会へと移行した。それは、頭でっかちの知識人がリードする社会ではない。倫理性も兼ね備えたトータルな知覚力と、ものづくりの技をもつ人々が、知識社会の鍵を握る。その点、ドラッカーは日本に期待をかけていた。
「私は、日本が明治維新以降、近代社会の提起するあらゆる課題に応えてきたように、これからも新しい時代の新しい課題に応えていくことを確信している。日本が日本独自の文化、世界観、美意識を強化しつつ、新たな課題に応えていくことを確信している」(『ポスト資本主義社会』日本語版への序文)。
そのような期待を裏切ってしまったのかどうか、判断するにはまだ早いだろう。「正気を取り戻し、世界への視野を正すため」に日本画を鑑賞したというピーター・ドラッカーに見習って、日本人は自分たちの伝統文化の素晴らしさに目覚める必要がある。そうすればおのずと、「純粋に喜ぶ能力」が甦ってくるに違いない。
(次回は7月第2週号掲載)
〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。一般社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『「いのち」の輝き』(新世書房)など多数。