倫理研究所理事長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第81回
日本語のことわざ「木を見て森を見ず」は舶来だそうだ。英語では” Some people cannot see the forest for the trees “と表現するとか。フランスの「木が森をかくす」、ドイツやイギリスの「木のために森が見えない」に由来するらしい。ただし2000年ほど前の中国の古典に「鹿を追う者は山を見ず」(『淮南子』説林訓)とあるので、似たようなことは世界のあちこちで昔から言われてきたのであろう。
部分の情報だけで全体を推し量ると誤りやすいことを、日本では「群盲象を撫でる」と言い慣わした。江戸時代に生まれて人口に膾炙したが、「盲蛇におじず」も同様に、身障者への差別だと批判されて、今では使われなくなってしまった。
日本の厚生労働省が新たな診療科として「総合科(総合診療科)」を創設する方針を決めたのは2007年だった。アメリカやイギリスでは初期診療を行う総合診療医(General practitioner)の制度が普及している。細分化された日本の医療が「木を見て森を見ず」になってしまっている反省から、総合的な診療能力のある医師を増やし、その能力を持つ医師を国が「総合科医」として認定する方針を立てたのだ。
最初の診療は総合科医が行い、必要に応じて専門の診療科に患者を振り分ける。そうすれば医療はもっと効率的になり、過剰な検査も防げる。勤務医の労働環境の改善にもつながるだろう。厚労省では総合科の導入を「医療提供体制を改革する切り札」と位置づけ、現代の「赤ひげ先生」の誕生を期待したものの、いまだに制度化に至らず、トーンダウンしたままになっている。
古代中国に起源する漢方医学は、もともと総合性の強い医療だった。外科や婦人科や小児科の専門はあっても、病気を総合的に捉えようとする。なぜなら「気」の思想がベースになっているからだ。
万物は「気」から成る。「気」が体内を隈なくめぐることで生命が維持され、精神機能も「気」によって起こる。病気とは「気」のアンバランスにほかならない。それを「気」の変動を示すパターンの「証」として捉え、バランス回復のための治療を施す。端的にいえばそういう医療である。
病気を、その時々の季節や気象の中でとらえるのも漢方医学の特色で、トータルな視点が常にある。また逆に、部分から全体をとらえようともする。顔面や手首の脈という局所から、体の全体の「証」を察知する技能を身につけなければ、名医にはなれない。もちろん年季もかかる。
漢方医学と近代西洋医学は、その成り立ちからして大きく異なっていた。病気を撃破する威力は後者に敵わないが、病人を癒すトータルな医療としては前者に一日の長がある。
これからのリーダーには、物事を部分の寄せ集めとしてだけでなく、全体として直覚する眼を養うことが求められる。ズバリと物事の本質を見抜く眼を持つには、それなりの修練が必要だ。やはり年季がかかる。
仕事に励んでいればおのずとその眼は養われるが、「部分は全体の総和以上である」と知っていたなら、さらに確実に早く養われるであろう。
(次回は1月第2週号掲載)
〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『「いのち」の輝き』(新世書房)など多数。