倫理研究所理事長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第66回
賑やかなオリンピックの夏も過ぎ去った。危惧されたテロ事件も発生せず、無事に閉幕できたのは何よりである。
オリンピックにはあまり関心のなかった筆者も、2020年には再び日本で開催ということもあって、リオ五輪は開幕式から注目した。見事な色彩と光で構成され、随所に開催国らしさが表れ、「共生と多様性と調和協調」という強いメッセージを発した開幕式は素晴らしかった。4年後にはどんな演出がなされるだろうか。
日本人が目を見張ったのは、体操男子で個人総合連覇を成し遂げた内村航平選手である。満身創痍のなかで「力を出しきった」と誇らしげな言葉が強く印象に残る。「歩くのも困難な状況で、痛みもかなりある。気持ちは切れていない。メダルのチャンスがあるし、自分の中ではあきらめていない」と述べていたのも、「体操界のキング」にふさわしい。
かつて加藤沢男という偉大な体操選手がいた。五輪三大会に出場し、メキシコとミュンヘンで個人総合の連覇を達成(どちらも団体総合で日本が優勝)、なんと日本選手として最多となる8個の金メダルを獲得する。1999年には、国際スポーツ記者協会が選んだ「20世紀を代表する25選手」に、日本人ではただ一人選出された。
加藤選手の演技に派手さはなかった。「月面宙返り」のような難易度の高い技を開発したわけでもない。ところが誰もが評価したのは「加藤の演技は美しい」だった。リオ五輪での内村選手の演技を見ていて、「これは加藤沢男より凄いかもしれない」と思ったのは、演技の正確さ、美しさに加えて「艶」があると感じだからだ。艶とは何かを言語化するのは難しいが、他の競技者の演技には見られない、華やかで上品なオーラの一種だろうか。
そこでまた思い出すのは、東京五輪のときの「体操の名花」と讃えられたチェコスロバキアのベラ・チャスラフスカ選手である。彼女の演技には名状しがたい艶があった。しかし彼女が引退してからの女子体操界は、若く小柄な選手たちによるアクロバット的な演技が主流となる。
男子体操でも、難易度の高い演技が追究される傾向がつづいてきた。そこに現れたのが内村航平である。リオ五輪で僅差の2位となったウクライナのオレグ・ベルニャエフ選手の演技も、前評判通り素晴らしかったが、美しさや艶の点ではとても内村には及ばない。
その内村選手は前々から、団体戦の優勝にいちばんこだわっていると報じられてきた。しかし予選の成績は悪く(4位)、決勝のときも内村自身がミスをして、結果として優勝できたものの、「本当にチームメートに助けられた」と感謝していた。もし団体優勝を逸していたら、彼の個人総合優勝も果たせなかっただろう。
日本人の気質として、個人よりも団体での成果にこだわる。団体でつかみ取った成功の喜びの方が大きいからだ。あれほど駅伝の人気が高い国は、日本くらいではないか。体操男子の団体制覇をきっかけに、ふたたび日本のお家芸であるチーム力が、スポーツ界のみならず、各界で復活することを願いたい。
〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『「いのち」の輝き』(新世書房)など多数。