NYに戻ってこられてうれしい
MSGで存在表明したかった
―なぜもっと米国でコンサートをしないのですか。
X JAPANはとても複雑なバンドでして、とても長い歴史を持っています。私たちは1997年に一度解散して2007年に再び再結成したわけなんですが、今に至るまでにとても長い時間をかけました。そして10年にロサンゼルス、シアトル、バンクーバー、シカゴ、トロント、ニューヨークで全7公演を行い、ニューヨーク公演は確か10月10日だったような。そして翌年、15カ国をツアーで回りました。ツアーの途中で元メンバーが亡くなったこともあり、私たちは数年間活動を休止せざるをえなかったという経緯があります。ですが、またニューヨークに戻ってくることができてうれしく思っています。
―マディソン・スクエア・ガーデン(MSG)とは。
実は22年前にX JAPANはニューヨークのロックフェラーセンターにあるレインボールームでとても大きな全米デビューの記者会見をしました。あの時は英語がしゃべれず大変でしたが、それから英語を学び始めました(笑)。そんなこともありまして、ニューヨークは本当に特別な場所です。今まで5万5000人収容の東京ドームで18回コンサートをしていますが、ニューヨークで公演することは私たちにとって特別ですし、マディソン・スクエア・ガーデンはどのミュージシャンにとっても憧れの場所ですし、私たちにとってもそうです。
―MSGでオープニングアクトをするラッキーなバンドは。
それについては考えたのですが、今回のニューヨークでのコンサートは日本国外で初めてのフルセット(日本でのコンサートと同じサイズの舞台装置などを使用)でする公演となります。ですので、セットの移動などを考えて、今回はオープニングアクトはなしにしました。
―MSGで新曲を発表する予定は。
良い質問ですね(笑)。1999年に「天皇陛下御在位10年の式典」のために奉祝曲を、2005年にはワールドエキスポ(日本国際博覧会)で公式テーマ曲を、12年にはゴールデン・グローブ賞の授賞式で公式テーマ曲を制作しました。今まで特別な機会に曲を作ってきたので、今回も作った方がいいかもしれないですね。
―コンサート以外でニューヨークで楽しみにしていることは。
そうですね、長らくブロードウェイミュージカルを見ていないので、見る時間があればいいですね。何日間か滞在できれば、いろいろ楽しみたいです。
―今回のコンサートは、バンドの今後の米国で活動に影響しますか。
もちろんです。今後ここ(米国)での活動がもっと活発になっていくと思います。MSGを選んだ一つの理由は“X JAPAN was Here”という存在表明をしたかったということもありますし。なので、今日も20件ものインタビューをこなします。(笑)
―マーベルコミックスとコラボレートしたということですが。
数年前、スタン・リー(マーベルコミックスの創設者)には私が主催したYOSHIKI FOUNDATION AMERICAのパーティーで初めて会いました。最初会った時は誰か分かりませんで、お互い自己紹介をして、スタンと分かってビックリしました(笑)。それ以来、食事をするような友人になり、私がモデルの「Blood Red Dragon」というコミックを制作してくれることになりました。
―日本のファンと海外のファンに向けたコンサートスタイルに違いは。
日本では、世代を越えたファン層が多く、父娘で来たという方もいらっしゃいます。一方、海外では、若い世代の方が多いようで、とてもうれしく思っています。20年前は西洋と東洋の間に大きな壁があったように思いますが、今の時代は大きな違いはないと感じます。特に音楽は。ですので、する場所によってスタイルを変えるということはありません。
―あなたの音楽制作意欲をかき立てるもの、人は誰ですか。
ファンです。大変な時を過ごしていた10年間、ソーシャルネットワークや手紙などを通して、毎日のようにメッセージを送り続けてくれていたファンの人たちの支えはとても大きかったです。バンドの解散や、メンバーの死などを通して、とてもつらい時を過ごしました。表舞台には立たずに作曲家として活動することも考えました、しかし、「天皇陛下御在位10年の式典」のために作曲するという名誉なオファーをいただいて皇居で演奏した時に、ファンの方たちがとても喜んでくれて、これが自分のいる場所はなんだと確信しました。ですので、ファンです。
(質疑応答は全て英語)
(写真はいずれも会見の模様=11日、ニューヨーク撮影:鈴木貴浩)
(2014年8月16日号掲載)
★ 舞台裏レポート → http://ameblo.jp/matenrounikki/entry-11908660736.html