〈コラム〉「そうえん」オーナー 山口 政昭「医食同源」

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マクロビオティック・レストラン(8)

みんな仕事の時間帯が違ううえに、仕事帰りに飲みに行くものもいたりして、四人が顔を揃えるのは眠っているときくらい。「デリ・シティ」は終わるのが早いから部屋に戻るのも私がいちばん早い。シャワーを浴びてから、そこいらに転がっている週刊誌をめくりながら隣の食料品店で買ってきたビールを飲む。週刊誌はどれも古く、なかには二年くらい前のものもあったが、たいして気にならず、二年前の出来事を懐かしむように、またそのとき読み落していたと思われる記事を新たな気持ちで読むこともあった。
日本にいたら、つぎつぎと新しいニュースが入ってくるので古い週刊誌や新聞など読む気にもならないでしょうが新しい週刊誌や新聞を手にしたときと変わらぬくらい興味を持って読めるのは、日本語の活字に飢えているというより、日本でいま何が起こっているか知らないから、熱い話題に一喜一憂することもなく、一度見た映画をまた見るような気持ちで古い週刊誌や新聞を手にすることができた、――つまり私の頭の中にある日本の時計は、私が横浜を出た三、四か月前の明石標準時で止まっていたのです。そして横浜を出てからは、それとは別の時計が時を刻みはじめていた。帰国が長引けば、それだけ、ふたつの時計の時間差が広がるということだから、帰国するときに感じるであろう葛藤も、帰国が長引くのに比例して大きくなるというわけです。
「バンコー」の住人はみな個性が強かった。そのうちのひとりが、ルームメイトの天四郎。長い頭髪を真ん中で分け、首から大きな数珠を掛けていたので、いかにも怪しげな教祖といった外貌、――本来は画家だが部屋では旅の話ばかりしていた。アフリカで子供たちにサインを頼まれたとき木の葉っぱを持ってきた子供が何人もいた話や、アマゾン河をいかだで下ったとき、「流木だと思って掴もうとしたら、でかいワニよ。びっくりしたぜ」などと。
翌年私はヨーロッパに行くんですが、トレドのペンションで偶然彼の絵を見つけます。そのころの彼の魂、絵に対する情熱に触れたようで、しばらくそこから離れられませんでした。
毎晩酔っ払って帰ってくるルームメイトもいました。芸大を卒業して会社に勤めていたが、やはり物足らないものを感じて、ヨーロッパに飛びだした。天四郎と同じで、描かなくなったのは、ニューヨークに来てからという。「ニューヨークは簡単に稼げるから、つい本業を忘れちまう。そういう意味では、絵描きにはヨーロッパのほうが向いている」窓の外からビールを持ってきながら彼は言った。部屋に冷蔵庫がないから外に出しておくのだ。外気で意外と冷えている。「贅沢から真の芸術は生まれねえ」
その彼も一年後に、イミグレーションに捕まって強制送還されます。のちにメキシコからきた絵葉書に、「ここから見るアメリカも悪かねえ」
元気そうで何よりでした。   (次回は8月18日号掲載)

〈プロフィル〉山口 政昭(やまぐち まさあき) 長崎大学経済学部卒業。「そうえん」オーナー。作家。著書に「時の歩みに錘をつけて」「アメリカの空」など。1971年に渡米。バスボーイ、皿洗いなどをしながら世界80カ国を放浪。

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