倫理研究所理事長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第103回
北京の故宮博物院は、かつて紫禁城と呼ばれた。1406年に明の永楽帝が建設し、清朝最後の薄儀(ふぎ)まで、代々24人の皇帝の居城だった。
この紫禁城を中心に、東に日壇、西に月壇、南に天壇、北に地壇が設けられている。「壇」とは皇帝が祈りを捧げる場所で、今では公園になっている。
月神を祀る月壇の近くに「月壇中学校」がある。去る9月8日、北京に滞在していた筆者はそこを訪問した。中学校といっても、中高一貫の6年制で、設立は1963年。9年後に日中国交が回復すると、政府の指導で日本語の教育が始まる。つまり第1外国語が日本語に指定されたのだ。そのような中高校は、広い中国全土でもそこだけだという。
現在の生徒総数は約600人。毎年、卒業した生徒の3分の1が日本に留学している。これまでに日本の214の学校や大学や団体と交流してきたが、波乱に満ちてもいた。中国で「反日」感情が高まると、日本語を必修科目としていることだけで非難されたり、生徒数が落ち込む。けれども日本との交流は中断なくつづき、中国でもレベルの高い有名校の一つになっている。
筆者は中国と35年近くも交流していながら、そのような中高校があるのを知らなかった。その日は日曜日にもかかわらず、張文生校長がみずから校内を案内してくれて、日本との長い交流を物語る資料を目の当たりにした。運動場に出ると、大きな舞台があって、バックの壁には、右側に雄大な万里の長城、左側に雪を懐いた富士山の写真が並んでいるではないか。
筆者の属する倫理研究所は民間の社会教育団体だが、20年に亘り中国内蒙古自治区の沙漠緑化事業を継続し、12年前からは日本の若者と、日本語を専攻する中国の大学生との「青年沙漠交流」を実施してきた。「沙漠の緑化は心の緑化、沙漠は素晴らしい教育の場であると知りました」──そう伝えると、張校長の目が輝いた。
おそらく来年から、中学生の頃からしっかり日本語を鍛えた高校生たちも、われわれの仲間に加わるであろう。なにしろ日本語検定試験で1級を得た高校生がゴロゴロいるのだ。
月壇中学校の校舎内には、壁のあちこちに中国と日本の著名人の言葉が、日本語と中国語で大きく掲示されている。ずっと見ていくとその中に、田中角栄元首相の言葉があるのに驚いた。田中元首相は「天才」とも呼ばれる政治家でありながら、ロッキード事件で逮捕されたり、金権政治の権化と評されたり、毀誉褒貶が甚だしい。
その元首相の言葉とは、意外にも次のものであった。──「時間を守れん人間は、何をやってもダメだ」
誰がこの言葉をセレクトしたのだろう。それすらも筆者は知らず、少し恥ずかしい思いがした。
井戸を掘った人を忘れない中国では、日中国交回復の立役者となった田中元首相が尊敬されている。それはそれで大事なことだ。来春には習近平国家主席の来日が決まっている。日中関係はしばらく、順風を受けて進むであろう。
(次回は11月第2週号掲載)
〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『ともに生きる』(倫理研究所)など多数。