倫理研究所理事長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第113回
江戸時代の初期に後藤艮山(ごとう・こんざん)(1659~1733)という傑出した医師がいた。江戸に生まれ、京都で開業。「百病は一気の留滞より生じる」と言い放ったことで知られる。空理空論を嫌い、古い漢代の医術に戻れと主張した。
彼はお灸の達人で、湯に入って体を温めることも奨めた。体は冷えを嫌うので、理に適っている。強烈な個性と強固な意志の持ち主だったのは、「艮山」という名前からも察せられる。
「当たるも八卦当たらぬも八卦」といわれる易占で、基本となるのが八つの「卦」だ。陰と陽のどれかを三つ組合せた八つの符号で、そのうちの一つに「艮」がある。自然界では山を象徴する。艮山先生は、泰然自若、動かざること山のごとき姿を理想として、自身の号としたのであろう。
易占の原典である『周易』というテキストには、「艮とは止まるなり」とある。やはり山のように、どっしりと安定して動かないことを意味する。それにヤマイダレが付けば痕(あざ)になり、心を伴えば恨(うらみ)となる。足の跟(かかと)はいつも大地にピタリと付く所だし、もうそこから先に行けない境は限(かぎり)となる。
植物の場合、地中にあって、大地をつかみ、1カ所に停留して動かない部分を根(ね)という。根を張れない植物は育たない。水分や栄養を取り込む前に、植物そのものが倒れてしまう。
人間の場合、何が根に相当するのか──。肉体的には、胃腸の働きは根に近い。胃腸が丈夫な人はまず健康である。それだけではなく、自分自身を倒れないように支える精神こそ、人間の根にふさわしい。
その基本は、自分は自分であるという確かな意識、いわゆるアイデンティティーの保持であろう。これがぐらぐらすると、自分が自分でわからなくなってしまい、ひどくなれば精神を病む。
日本でひところ「自分探し」が流行ったが、どこかを旅したり、知らないアートに触れたり、新しい知識を詰め込んで、自分を探し当てた人がいたであろうか。問い方が違うのではないか。「自分とは何か」ではなく「何が自分なのか」を先に問わなくてはならない。
いったい今の自分は、過去のどんな出会いや他者との関わりによって築かれたのだろう。まずは故郷や両親や兄弟姉妹や、生まれ育った環境に思いが向く。先祖や先人があっての自分、ということも忘れてはなるまい。そのあたりのことがアイデンティティー、つまり自分の根の核になるのではなかろうか。
今年のコロナパニックでは、人間の弱さや脆さが露呈した。恐怖情報に煽られ、自粛に戸惑い、政治家やリーダーたちはぐらぐら揺れるばかりで、地に足が着かなかった。誰かを責めて済むものではない。自分自身が根腐れを起こしかけていた。
いかに非常時とはいえ、それまで培ってきたはずの常識や良識はどこにいってしまったのか。「万物の霊長」などと、恥ずかしくて言えたものではない。
改めて自分の根を問い直し、大きく根を張ることができたら、コロナパニックも奇貨とできるであろう。
(次回は9月第2週号掲載)
〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『ともに生きる』(倫理研究所)など多数。