倫理研究所理事長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第147回
わが中学校の同級生で、大相撲の世界に入った男がいる。体格は筆者と同じくらいだから、力士としてはまるで貧弱である。当時は新弟子になる検査で、身長が175センチ以上でなければならないかった。
体重はあとからかなり増やすことができても、20歳を過ぎると身長はそう伸びない。あと2センチほど足りないので、審査の前の晩に頭頂部を金槌で叩いて大きなコブをつくり、すれすれで合格した。それほどの執念で角界に入ったのだが、小兵力士の前途は厳しかった。
しこ名を「若武蔵」と称したその男は、ウルフと呼ばれた横綱千代の富士を彷彿とさせる面魂の持ち主だ。眼をギラつかせながら、自分より倍も大きな相手に、しゃにむに突進する。非力なので黒星ばかりだがその気迫が注目され、昭和の名力士を紹介する本に記事が載ったこともあった。
どんな競技でも、プロの世界の厳しさは聞きしに勝るものがある。とりわけ大相撲では昔から、「番付が一枚違えば家来同然、一段違えば虫けら同然」と言われてきた。力士の階級は、序ノ口から最高位の横綱まで10段階あって、十両以上になると「関取」と呼ばれ、月給も支払われるようになる。所属する部屋では、稽古が終わってから風呂に入るのも、「ちゃんこ」が食べられるのも番付順である。
国籍も体重も年齢も関係なしの、徹底した実力本位の格差社会では、いったんどん底に落ちると、並大抵の努力なくして這い上がれない。先の夏場所で優勝した照ノ富士の場合、まさしく奇跡の復活だった。いずれは横綱と期待されて大関に昇進したものの、怪我や病気による負け越しや休場が続き、なんと最下位から二番目の序二段まで陥落してしまったのだ。
普通の力士であれば、もうギブアップするだろう。しかしそこから踏ん張って幕内に復帰し、大関に戻り、ついには横綱になるまで栄達した。むろん史上初の快挙である。その間、どれほど苦悩し、精進を重ねたことか。凡人の想像の域などはるかに超えている。
照ノ富士は横綱昇進の伝達式において「謹んでお受けいたします。不動心を心がけ、横綱の品格、力量の向上に努めます」と口上を述べた。しかし大型力士はよくケガに泣かされる。昨秋はついに両膝を手術して、3場所も続けて休場した。再起を危ぶむ声があったけれども、横綱としての実力も誇りも、全くさびついていなかった。両膝の大きなサポーターは痛々しいが、あれこそ大横綱の勲章にほかならない。
土俵に上がった照ノ富士の、気合に充ち満ちた厳しい表情はなんとも凜々しい。夏場所はコロナ禍のコンプライアンス違反などを問われて懲戒処分を受け、三段目から再出発した元大関の朝乃山も、優勝争いに加わった。12勝で2年ぶりの幕内復帰場所を終えだのだからたいしたものだ。
2人ともどん底から這い上がった勇士である。朝乃山に照ノ富士のような厳しい表情があらわれてきたら、大関復帰も夢ではないだろう。世の政治家たちも、あのくらい凜々しい表情で政務に当たってほしいものである。
(次回は7月第2週号掲載)
〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。一般社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)『至心に生きる 丸山敏雄をめぐる人たち』(倫理研究所刊)ほか多数。