〈コラム〉伝統衣装の祭典

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倫理研究所理事​長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第156回

年齢を重ねてくると、窮屈な状態が耐えられなくなる。衣服もゆるく着られるものが好ましい。首を締め付けるネクタイなど、めったに着けなくなった。スカーフならまだしも、もともと和服とは縁のないネクタイは窮屈で馴染まない。バリッとしたスーツも着用したいとは思わない。

明治の文明開化から日本人に洋装が定着してきたが、ことに戦後世代で、和服を普段着にしている男性はまずいない(作務衣は別として)。ネクタイやスーツは嫌だからといって、和服に戻る気にはならない中途半端さが、わが老境の居心地の悪さにつながっている。

余計なことを書いたようだが、衣服衣装一つをとっても、世界の各民族には伝統の文化がある。オリンピックのような競技の祭典とは別に、世界の伝統衣装が一堂に会した祭典が催されたら、どんなに面白く楽しいことだろう。

先頃、杉本鉞子(えつこ)の『武士の娘』を繙いていたら、日米文化を比較する興味深い場面がいくつもあった。著者は明治6(1873)年に、かつての長岡藩の家老の六女として生まれ、旧武士の娘としての厳しい教育を受けた。10代で東京へ出ると、キリスト教の学校に通って英語を身につける。兄の友人の杉本松雄と12歳で婚約。クリスチャンの杉本は日本の古い商法を嫌い、アメリカのシンシナティで骨董の店を開くことになる。

鉞子は結婚のため渡米するが、42歳で寡婦となり、2人の娘を養育しながらアメリカにとどまる。生きるために始めた新聞や雑誌への投稿が、編集者の目に留まって出版された。それが『武士の娘』で、アメリカでの日本人初のベストセラー作家となる。ニューヨークへ移り住むと、コロンビア大学の教壇で日本語と日本史を教えた。

たとえば本書にこんな場面がある。ある日のパーティーの席で、妙齢の婦人が和服姿の杉本鉞子に愛想よく話しかけきた。彼女は鉞子の帯に興味を示し、美しいけれどもどうして模様が見えるように広げないのかと尋ねる。帯にも身分や年齢、職業や場合などによって、いろいろな結び方のあることを鉞子は話して聞かせた。

すると婦人は「帯にはどうしてこんなにたくさんの布を使うのか?」と尋ねる。鉞子はまた帯の意義や由来について詳しく伝える。しかし布地の長さにこだわる同婦人は「役にも立たないのに、そんなに長々と立派な布を買うのはいけないことですね」と言って去った。「その方御自身も、美しいビロードの服の裳裾を長々と後にひきながらお帰りになったのでした」と鉞子は書いている。

どんな奇抜な伝統衣装にも、それが生まれた由来があるだろう。不思議に思える様式にも、明確な理由があったりする。和服を「右前」に着る(自分から見て左襟を右襟の上に着る作法)のも、日本では右より左を上位とするしきたりに由来する。和風建築でも、ふすまや障子から見て左側を前にするのが鉄則だ。ちなみに女性の洋服は左前になっている。

くどいようだが、もしも伝統衣装の祭典が実現したら、どんなに楽しいだろう。そしてどれほど世界が和らぐことだろう。

(次回は4月第2週号掲載)

〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。一般社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)『至心に生きる 丸山敏雄をめぐる人たち』(倫理研究所刊)ほか多数。最新刊『朗らかに生きる』(倫理研究所刊)。

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