丸山敏秋「風のゆくえ」第26回
野球界のミスターこと長嶋茂雄氏と大リーグで活躍した松井秀喜氏に、国民栄誉賞が贈られた。
松井氏が鳴り物入りでヤンキースに入団したのは2003年である。開幕後はまずまず活躍したが、5月になって絶不調に陥った。月間打率が2割を切るとマスコミから酷評され、「グラウンド・ボール・キング(ゴロ王)」と不名誉なあだ名をつけられる始末。
しかしさすがはゴジラである。6月に入ると見事にスランプを脱し、月間新人賞を受けるほどの活躍を見せつけた。その調子が上向きかけた頃、インタービューにこう答えていた。──「マスコミでいろいろ言われましたが、いちいち気にしていたらやってられません。逆に批判を書かれて、発憤の材料になるということも、ボクの場合はありません。人の書く記事などはボクのコントロールできることではないし、自分のコントロールできることをしっかりやっていく、というのがボクのスタンスですから…」
名言である。他人は無責任になんとでも言うものだ。イソップ寓話にロバを市場に売りに行く父子の話があるではないか。2人でロバ引いて歩いていると、「せっかくロバを連れているのに、乗りもせずに歩くなんてもったいない」と誰かが言う。父親は息子をろばに乗せて行くと、「元気な若者が楽をして親を歩かせるなんて、ひどいじゃないか」と言われる。
今度は父親がロバにまたがって息子が引いて歩くと、「自分だけ楽をして子供を歩かせるとは悪い親だ。一緒に乗ればいいのに」と。2人で乗ると、「重くてロバが可哀想だ」とまた言う。ついに父子は狩りの獲物を運ぶように、棒にろばの両足をくくりつけて吊り上げ、担いで歩き出した。すると橋の上でロバが暴れ出し、川に落ちて流されてしまう。結局、親子は苦労しただけで一文の利益も得られなかった。
松井氏が周囲に惑わされず、自分のスタンスを守り抜いて成果を上げたのは立派だった。断固として進めば、いつか道は拓ける。周りの声を気にしてばかりいたら、一歩も前に進めない。
古代ローマのエピクテトスという哲人は、イソップ(アイソーポス)と同じく奴隷だった。辛酸を舐めながら宮廷に仕えるが、やがてローマから追放され、貧窮の中に没したという。わずかに残るエピクテトスの言葉にこうある。──「世の中にはわれわれの力の及ぶものと、及ばないものとがある。及ぶものは、判断・努力・嫌悪など、ひと言でいえば、われわれの意志の所産の一切である」
他人の風評のような自分の力(意志)の及ばないことは、気にしないことだ。ヤンキースを辞しても大リーグに踏みとどまったゴジラの決断には賛否両論が渦巻いたが、あれが彼のスタンスだったのだろう。国民栄誉賞に値する一貫不怠の姿だと思う。
(次回は6月8日号掲載)
〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『今日もきっといいことがある』(新世書房)など多数。