丸山敏秋「風のゆくえ」第10回
今の日本はどうも暗い。政治の混迷や経済の低迷が直接の原因なのだろうが、国家も国民も未来への見通しが立たず、希望が見出せない閉塞感に覆われている。アメリカもEU諸国も同様なのではないか。
日本の場合、昨年の「3・11」以前から、この閉塞感が強くなっていた。「日本は壊れかけている」と筆者もあちこちで述べたり書いたりしてきた。そして年が改まった2012年、大変動の跫音が重々しく響いてくる。
今年は主要国の首脳の顔ぶれが、選挙や交替によってかなり変わる。日本は毎年のように変わり、現政権も長持ちしそうにない。世界でいったいどんな事態が待ち受けているのだろうか。期待よりも不安が高まる。
グローバル資本主義の行く末はどうなるのだろう。事故を起こした原発と同様に、金融の世界も制御が困難になっている。天候気象の異常も、引きつづき世界各地で頻発するであろう。日本では心を病む人たちが増大している。年間の自殺者が3万人を超える事態が14年もつづいていて、それが当たり前であるように国民は思ってしまっている。
しかしモノは考えようだ。押し寄せる困難苦難を脱皮や成長のためのスプリングボードだと捉えられたら、少しは心を明るく保てる。 「明」という漢字の成り立ちをご存じだろうか。小学校では「日」すなわち太陽と「月」とを組み合わせた文字だと教えられた。そう説いている辞書もある。だがそれは誤りだ。
基本となる漢字は、3500年前頃の古代中国で一気に作られた。賢者たちが知恵を絞って漢字を作ったとき、太陽と月を合わせて「明」の字にしようなどと考えたはずがない。空に太陽が輝けば、月は見えなくなってしまう。幼児でもわかることだ。 「明」の字の「日」は太陽ではなかった。それを発見したのは文化勲章を受賞された孤高の碩学、故・白川静先生である。ではその「日」とは何か。
それは明かり採りの窓であった。そこから月光が入り込むことを「明」は意味する。古い穴下式の住居では、月光の入る窓辺に神様を祀った。だから「明」は神明(神祇)も指しているのだという(『字統』)。
太陽が隠れた夜中に、窓から差し込む月の光は、神々しいほどあかるい。そういえば、ほがらかを意味する「朗」の字にも「月」が付いている。
好況のときには、誰でもあかるくなれる。夜の空に現れる月のように、周囲が闇であってこそ光り輝くのが、本物の明朗だろう。
どんなに暗くても自分の心の明かりだけは消すまい。その明かりを頼りに寄ってくる人たちとの、素敵な出会いが生まれる。ビジネスチャンスも広がるだろう。「月」ならぬ「ツキluck」がきっとめぐってくる。 (次回は2月11日号掲載)
〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『今日もきっといいことがある』(新世書房)など多数。