丸山敏秋「風のゆくえ」第2回
風を感じるには、そこへ足を運ばねばならない。
2001年の「9・11」の災禍が起きた2カ月後、花束を持ってマンハッタンの現場近くを訪ねたら、鼻腔を刺す金属臭が漂っていた。風が運ぶあの異臭は映像では伝わらない。
岩手県大船渡市は、空前の大津波で湾岸部が壊滅した。先日そこへ赴くと、巨大なガレキの原に微細な塵埃が舞い上がり、目を開けていられなかった。あの風もテレビには映らない。
風は運び屋なのだ。雨雲も雪雲も風が運んでくる。春先の西日本には、大陸から大量の黄砂が偏西風に乗って運ばれる。日常生活の中でも、風が運ぶ便りや噂が飛び交っている。
3月に発生した「原発震災」で、フクシマの名が一躍世界に知られた。地震と津波の自然災害を被っただけでなく、福島県民は放射能漏れに脅え、過度な風評被害に泣いている。マスコミのみならず、インターネットが巻き起こす風の力はすさまじい。
無風では世の中つまらない。多少の波風は活力を与えてくれる。けれどもデマに近い風評を面白半分に流すのは、許されることではない。人のみち(倫理)に反している。
いかに放射能が怖ろしいからとて、福島の人には近づくなとか、福島から嫁をもらうなとデマを言いふらす輩は犯罪者に等しい。震災後に福島県に入り、そうした風評被害の甚だしい実情を聴いて怒りを覚えた。そうした風はけっして起こしてはならない。
社会学者のオルポートとポストマンによる『デマの心理学』という古典的名著がある。それによると、デマは危機の時代に広がりやすく、社会的緊迫のあるときには、いつでも誤った情報が猛威をふるう。戦時中のデマは国家の安全さえ脅かすという。
情報は伝播する過程で歪みやすい。ある根拠のない話が一人の口から別の人に伝わると、曖昧な記憶と想像力によって変形する。伝言ゲームをやればすぐに分かることだ。さらに恐怖心や偏見によってデマと化していく。一旦発生したデマをうち消すには、相当なエネルギーを必要とする。
大震災が発生して、ツイッターやメールの有効性が喧伝された。そうかもしれない。だがどちらも、津波に襲われた被災者にはほとんど役に立たっていない。むしろデマや風評を飛ばす道具にもなってきたのだ。
道具は使い方次第で利器にも凶器にもなる。風評被害をくい止めるツイッターやネットであってほしい。
歪んだ風評に惑わされないために、平素から判断力を鍛えておこう。坐して風を待つのでなく、行動して風を追い、判断力を磨くのだ。
現場ですべてがわかるわけではないが、行ってはじめて正しく判断できる情報は多い。動けば風を感じる。その労を惜しんではならない。
(次回は6月11日号掲載)
〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『今日もきっといいことがある』(新世書房)など多数。