大江千里(3) 見えない大きな力で、曲を作れと背中を押してもらった

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BOUT. 296
ジャズピアニスト 大江千里に聞く

バードランド・シアターでライブが大盛況

ニューヨーク在住のジャズピアニスト、大江千里さんが9月に新アルバム『Hmmm』(フーム)を全世界同時発売した。これを記念し、同月、タイムズスクエアにある名門ジャズクラブ「Birdland Theater」でアルバムリリースライブを開催した。大盛況に終わったライブ後日、ニューヨークでの音楽ライフや今後の活動など、お話を伺った。(聞き手・高橋克明)

バードランド・シアターでのライブの模様(左から)大江千里さん、マット・クロージーさん、アリ・ホーニグさん=2019年9月8日

バードランド・シアターでのライブの模様(左から)大江千里さん、マット・クロージーさん、アリ・ホーニグさん=2019年9月8日

先日のバードランド・シアターでのアルバムリリースライブは、最後、スタンディングオベーションが起こるほどの大盛況でした。

大江 やっぱり、ブロードウェイの中心であり、いつもジャズの音色が聴こえてくるような聖地って感じの場所ですから。うれしかったですね。バードって、(米ジャズミュージシャンの)チャーリー・パーカーの愛称なんですよ。「バードランドの子守唄」っていう、スタンダードな曲のタイトルにもなっているくらいで、まさしくジャズの殿堂なので。

やっぱり千里さんにとってもジャズの殿堂バードランドは特別な場所ですか。

大江 そうですねー。47歳で日本のPOPシンガーをやめて、(ニューヨークの)ニュースクールの学生だった時に、ハンク・ジョーンズさんのライブに来たんですよ、いち観客として。で、その時に、楽屋に入れていただいて「ポップのシンガーソングライターをやめて、犬と一緒にアメリカまで来たんですよ」と言ったら「そうなんだー! 始めたばっかりなんだね」って話してくださった場所でもあるんです。

渡米当初の頃ですね。

大江 そう、10年くらい前ですね。「もうアラフィフです」なんて話したら「まだ若い! 僕なんて200まで生きるから、80代の今はまだベビーみたいなもんなんだよ」って(笑)。「キャンディー食べる?」って日本(製)ののど飴(あめ)を2人で口の中でコロコロ音立てながら話して。その際に、靴下をわざと互い違いに履かれていたのが見えたんですよ。もう何から何まで所作みたいなものが、僕には本当にキラキラ輝いて見えましたね。そのハンク・ジョーンズさんと楽屋でご一緒できたという意味でも特別な場所ですね。いつかここに、弾き手として戻ってくるぞっていう思いが、心のどこかに強く残っていましたね。

今回、そこでトリオでの単独ライブを成功なさいました。

大江 もちろん緊張もしてたんですが、「おはようございます」って入っていくと、経営者であるジョアンニさんが、ほうきとちりとりを持って自ら、廊下をパパパパーっと掃除されてる姿を見て、またそれで胸が熱くなり、緊張なんかしてる場合じゃないっ! みたいな。もう精いっぱいいつも通りやるしかないってね。でもね、(ドラマーの)アリ・ホーニグも、(ベーシストの)マット・クロージーもみんな、緊張してんですよ。僕だけじゃない。みんなそれぞれ、どんなに経験値があっても、やっぱりああいう場所でやるときは、襟を正す感じ。みんな、現場で、神様に背くようなことを一瞬でもやったら流れが変わってきちゃってというような経験を、何度もしてるから。そうならないように、本当に全身の毛穴を開いて、心で、いい格好せずに、入っていかないといけないぞって感じでしたね。

いいですね…。登場人物皆さん音楽を愛してらっしゃるのが伝わってきます。

大江 (ライブ)翌日には、そのオーナーから「次は1月だ!」ってメールをすぐにもらって。次回は、1月の20日に決まりですね。もちろんバードランドだけが憧れの場所ではないんですが、ニューヨークにはバードランドのようなジャズのハートみたいな場所はいくつもあるんですよ。ジャズの(往年の)プレーヤーたちの魂が温かく見守ってくれているような場所。そこで演奏できるのはそれだけで幸せですね。

大江千里

今回のアルバム『Hmmm』から米国のレーベル「SONY MUSIC MASTER WORKS」と契約されました。ブランフォード・マルサリスや、ヨーヨー・マまでレジェンドたちのいる大手です。

大江 本当に、ねぇ…。ソニー・ロリンズとか、2チェロズとかアビシャイ・コーエンらと並んで僕もサイトに載ってるんですよ。アメリカの音楽シーンをリードしている人たちですから夢のようですね。

それがどれだけすごいことか、なかなか日本の人には伝わらないかもしれないですね。

大江 ハンス・ジマーも、テオ・クロッカーもいますから。フランス芸術文化勲章を受章したステイシー・ケントというジャズの歌姫も、チリのジャズシンガーのカミラ・メサも、ここに所属してますから。

で、日本からSenri Oe。この先の仕事も大きく広がりますね。ところでPR会社もメジャーカンパニーとやられているとか。

大江 マネジャーに「PRのこういう会社を見つけたけど、ハードル高そうなのでちょっと代わりに交渉してくれない?」って言ったらすぐに担当の人に直電話してくれたんです。なんと、仕事をやりたかった相手と40分ガールズトークでいきなり盛り上がったらしいです。その日から早速きちんと契約を交わして仕事しようっていう話になったんですよ。早い(笑)。だから何事も体当たり、そしてスピードが勝負なんだなあって学びました。

ここまで到達して、改めて振り返った際、米国でのこの12年間は長かったですか。それともあっという間でしたか。

大江 …そうですねぇ…。実は先日のバードランドのコンサートの前に、父が亡くなったんですよ。この『Hmmm』っていうアルバムを、レコーディングする数日前に。だから、ジェットコースターに乗ってるような感じで…。でも、降りるわけにはいかない。レコーディングが始まる前に、深呼吸したんですね。その時に「ふーむ」って、いったん力を抜いた。それによって、「よしっ、これは迷いなくいける」となって。(レコーディグスタジオの時間は)1日しかないから、仮に、もし納得いかなかったらその時は責任持って作ったものは、ゴミ箱に捨てようと。だけど、絶対おもしろいもの作る自信があって、限られた時間の中で。で、9曲を持ってスタジオに入ったんですよ。まず最初に、ピアノのソロが3曲、それがなんと40分ぐらいで録れちゃったんですよ。

40分(驚)!

大江 もう1回集中して弾いて、それで「うん、いいね」ってことに。で、その後に、マットとアリが来て「I made it !」って言ったら「Wow ! 」。「なんでそんな早いんだよ」「分かんないけど、できちゃったよ、聴く?」でみんなで聴くと「あ、いいじゃんいいじゃん」。そうするとだんだんスタジオがその流れで熱気を帯びて、結局、6時にトリオの6曲全部仕上がっちゃったんですよ。

…何か神懸かっているような…。

大江 うん。アメリカにやってきてから今まで、本当に人にも恵まれて、ニューヨーク生活を楽しく有意義に過ごしてて。それがここへ来ていろいろ、まず3カ月前には腹膜炎寸前だった盲腸で緊急入院して、それも破裂寸前だったという。それからしばらくして親父が亡くなって、一気にそういうことが立て続けにあって、気持ちが落ち着かないすれすれのところに立ってて……でもこうやって前へ進める自分がここにいる、これはやっぱり、何かに生かされているんだなって強く感じたんですよ。自分には見えない大きな力で「曲を作れ」って背中を押されてるような気がしたんですね。このジェットコースターのような人生を僕は、今は絶対に降りない。降りないけれど、一瞬だけ、ポーズをとって、深呼吸をしたんです。その時に「ふーっ」て、その時に感じたあの景色が開けていく感じ。『Hmmm』というタイトルにはそんな経緯があるんですよ。

アルバムのタイトルは、そんな意味があったんですね。お父さまが弾かせてくれたかもしれないですね。

大江 ホントにね。ロックアウトは10時だったので、まだ6時だし余力もあるし、もったいないから、何か録っとく?って(話も出たけど)いや、もう、ここで終わりにしようやり切ったって、心からなんとなく。「ただ、一つだけしなきゃいけないことがある」って僕が言うと「え、何?」「記念撮影」。ダニエル・アルバっていうエンジニアとアリ・ホーニグとマット・クロージーと、ぴちゃん(飼っているダックスフンド)と、僕とで写真撮って、終わりました。

特別なアルバムだということが伝わってきました。

大江 今まで1人でやってきた。ソロはソロで面白い。だけど、今回、トリオだからこそ、広がってスピードが増してやりきれた部分がある、と思うんですよ。明るいし楽しいし切ないし、これはまさしくトリオで弾けたアルバムなんですよ。

先日のライブも、会場が一体となる中、プレーヤーの千里さんご自身も楽しそうでした。

大江 うん、本当にそうですね。「1人じゃないって〜すてきなことね〜」ですね。トリオでやると、また1人に戻ってやる時に、またできることが増えるんですよね。1人でそうやっていると1人オーケストラだから、楽しいけれど力も使う。踏ん張って踏ん張って、毎回高めのハードルを一所懸命に乗り越えてくると、今度は3人で演奏している時は、2人が作ってくれてるトラックを心から信じて乗っかれるというか、ただもう信頼と感謝の心で自分が生かされている気持ちがあふれてくる。その一瞬一瞬を楽しむことに、もう無我夢中になれる感じですね。

大江千里

日本でポップスターで活躍されていた時と、この12年間は千里さんご自身の中では、全く違う色でしょうか。

大江 いや、基本的に、好きな音楽を作る、詩を作って、曲を作って、って意味では一緒ですね。今でもジャズの曲を書くときに、詩が自然と一緒に出てくるから。アメリカで生まれたジャズを作るのに、日本語が乗ってもおかしくはないですね僕の中では。僕は、アメリカ人の背中を追っかけるのではなく、自分にしかない世界観、ものの成立のさせ方、言うならば自分のIDで「千里ジャズ」を作ってるわけなので。そこに日本語の絵の具は逆に必要なんですよ。僕の曲には7拍子とか、13とか9とか、を刻む曲が多いんです。俳句の国の人だから。演奏しながら5、7、5にその場で言葉をつけて「たらちねの母の背中に抱っこされ、をとめの姿しばしとどめむ」なんて歌いながらソロをやる。しかも右手で歌いながら左手では全く違う拍子をキープするってのもシンガーソングライター時代からの十八番(おはこ)だったりするんです。(笑)

へー! おもしろいです。今後の千里さんの目標を聞かせていただけますか。

大江 昔、ニュースクールの先生に「君のダウンビートは個性があっていい」って言われたんです。それは「千里流ダウンビートだから、君のフォルテだから、なくさない方がいい」って言われて。それが長いこと嫌だった。一生懸命直そうとしていた。でもある時からあってもいいかなって部分も感じられるようになり、それはアメリカの各地を回っている最中、アメリカ人の反応から学んだことです。前回のB&Gは、POP時代の引き出しを開けて、長いこと埃(ほこり)かぶってた作品を引っぱり出してきて、もう1回キラキラさせて、ジャズに変換したアルバムだった。そのプロセスで学んだことは大きいですね。大変だったけど。こんな作品を俺は全身全霊で書いてきたと誇りに思えるようになったし。まさにポップmeetsジャズ。今回のアルバムは、ジャズmeetsポップかな。逆側から、つり橋を渡る。揺れはあるけれど怖くない(笑)。世界中に一つしかない音楽をやっと作り始めたと言う感じです。まだまだ先は長いけれどゴールが見えた。

なるほど。そこに僕たちは、前回のライブにしても、千里さんオリジナルのジャズを感じたわけですね。

大江 ジャズの山を登ろうと決めてジャズの大学を卒業したらそこには思った以上に高くて遠い山があった。自分はまだその麓に立っていることがやっとその時分かったんです。そこは高くて、遠くて、その頂上は見えないくらい先にあるんだけれど、それが今は「頂をゆっくり登ってピークに近づいている」感覚に変わりました。他人と比べることもなくなって、たくましくなった。そんな今だからこそ、やっぱり、もう1回、シッカリ基礎に戻り、今までできなかった技術的なことのバリエーション、重要なのはノリですね、それも含めて、もっともっと、オーセンティックに突き詰めて、自分の目指す山を一歩一歩上がっていきたいですね。

なるほど。それでは最後に、ニューヨークで夢を追っている日本人にメッセージをください。

大江 外国で生きていくのって普通に暮らすだけでマイナスからのスタート。違う言語でお金稼いで、稼いだお金から家賃も払って、しかもNYは食費も高くて、だから僕はいつも夢に向かっていくって、こんなに大変なんだなって日々この街の隅っこで実感するわけです。たまに、街で日本の方らしき人とすれ違ったりすると、ああ僕と同じようにいろいろ乗り越えながらやられてるのかなって、話しかけたい気持ちにかられる時があります。僕はHOPEって言葉が好きなんですけど、そのHOPEも健康な体があってこそ。そしてそれぞれのゴールの形は100万通りあるだろうから、夢が叶う叶わないよりもその夢に一歩踏み出していけたら、それがもう別の形の夢を生き始めていることだと思うんですね。なので、虫垂炎の手術をした後の僕だからこそ、本当にみんな健康にだけは十分に気をつけてって思うし、この素晴らしいダイバーシティの街NYをお互いにサバイブして、いつかどこかで会った時に笑顔でハグし合えるように頑張ろう!って思いますね。

大江千里

 

大江千里(おおえ せんり) 職業:ジャズピアニスト
1983年、シンガーソングライターとして日本でデビュー。2008年ジャズピアニストを目指し単身渡米、音楽大学を卒業後12年7月、レーベルを立ち上げ(PND)最初のジャズアルバムを発表。2018年にポップ時代の代表曲『格好悪いふられ方』『YOU』『十人十色』などをジャズにアレンジした「Boys & Girls 」、2019年には6作目の初トリオアルバム『Hmmm』をリリース。‘Pop meets jazz. Jazz meets pop’、ジャンルを超えたSenri Jazzは欧米でも高く評価されている。www.peaceneverdie.com

 

アルバム『Hmmm』

 

今後のライブ情報
11/20 Vitello’s(Los Angeles)
11/22 ArtBoutiki(San Jose)
11/30 Tomi Jazz(New York)
12/31 Tomi Jazz(New York)
1/20 Birdland Theater(New York)
1/27 Blues Alley(DC)

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〈インタビュアー〉
高橋克明(たかはし・よしあき)
専門学校講師の職を捨て、27歳単身あてもなくニューヨークへ。ビザとパスポートの違いも分からず、幼少期の「NYでジャーナリスト」の夢だけを胸に渡米。現在はニューヨークをベースに発刊する週刊邦字紙「NEW YORK ビズ」発行人兼インタビュアーとして、過去ハリウッドスター、スポーツ選手、俳優、アイドル、政治家など、400人を超える著名人にインタビュー。人気インタビューコーナー「ガチ!」(nybiz.nyc/gachi)担当。日本最大のメルマガポータルサイト「まぐまぐ!」で「NEW YORK摩天楼便り」絶賛連載中。

(2019年11月2日号掲載)

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