【NY歴史問題研究会 通信】vol. 5 戦後政治史と政治家の矜持 「救国宰相」の試練〈上〉

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自民党を中心とした戦後政治史を振り返り歴代首相の“足跡”を追う

第62回例会(10月例会)-1

ニューヨーク歴史問題研究会は10月20日、第62回例会(10月例会)「戦後政治史と政治家の矜持:「救国宰相」の試練」を開催した。2日後に衆議院総選挙を控えた開催であったことから、「自民党を中心とした戦後政治史と、宰相に求められる資質」というテーマで語られた。今号と25日号の2回にわたりその内容を紹介する。

高崎康裕氏の解説に聴き入る聴衆

高崎康裕氏の解説に聴き入る聴衆

「突然の政権交代か」と話題の選挙を前に戦後の政治史をながめながら、投票行動を振り返ってどういう風に民意が反映されてきたか「記憶の整理をしたい」と、同会会長の髙崎康裕氏が講演を始めた。

まず、今回の選挙での自民党総裁である安倍晋三首相の公示第一声が紹介された後、グラフを見せながら戦後の自民党衆議院席占有率の推移に触れた。次に本日のテーマである自民党と他党の歴史に移った。

1955年に誕生した自民党は四つのフェーズがあるという。第1〜3次で古い自民党は終わり、2012年12月の総選挙で比較第一党に返り咲き、安倍首相よる政権運営以降を第4次としてフェーズが変わったという。髙崎氏は他党の歴史にも触れ、「55年体制」下と、2009年以降の離合集散を分かりやすい図式で説明した。

次に戦後の日本内閣史として、50年代以降の歴代首相を紹介した後、「第1次自民党時代の宰相たち」として吉田茂、鳩山一郎、岸信介を取り上げた。彼らはいつかは本格的に独立をするという秘めた意志を持っていたという。ここで問題になるのが集団的自衛権で、吉田茂がこの解釈を変えていった流れが詳しく紹介された。当初は「自衛権の発動もできない」と発言していたが、冷戦激化や朝鮮戦争の勃発以降、「不幸にして緊急な攻撃を被った場合、防御にその武力以外に手段がない場合は、直接の侵略の防衛に当たるという手段を講ずるほか、国の独立は守れないはず」と述べるようになった。この背景には憲法9条に関する芦田修正があり、この修正によって吉田は自分の立場を変えたという。

次に岸が紹介され、安保条約改定(60年安保締結)騒動が取り上げられた。岸はこの改定に政治生命を賭けていたが、大規模な抗議行動が起こり、この混乱の責任を取って辞任した。
吉田、鳩山、岸に共通するのは「対米独立」の思いだったと、髙崎氏は強調した。

解説には写真などの資料もふんだんに使われた

解説には写真などの資料もふんだんに使われた

この集団的自衛権について解釈の転換があったことが紹介された。昭和40年代の前半までは、集団的自衛権は日本ももちろん行使できるということが、理論的な大前提としてあったという。それがなぜ変更されたかというと、昭和47年の日中国交回復がきっかけだった。自衛権を失っても、日中国交回復を急いだという。また、同年には非核三原則の決議がなされたことも紹介された。

第2次自民党として佐藤栄作と田中角栄に焦点をあてられ、解説がなされた。

佐藤栄作が実現した沖縄返還は国策としては十分大きなものだが、一方で“非核三原則”“武器輸出 三原則”を口にしたのも、佐藤政権だったという。

次に宰相「三角大福中」の蹉跌(さてつ)として、三木武夫が取り上げられた。靖国参拝の問題で「私的参拝」「公的参拝」の区別を持ち出すなどいくつもの点で、その後の日本の混乱を招く原因を作ったという。髙崎氏は「三木の罪は非常に重いと言わざるを得ない」と語った。

1979年第1次大平内閣の増税解散の解説の後、大平の過度に親中であることや上海興亜院人脈が紹介された。

83年の第1次中曽根内閣では田中判決解散があり、93年の宮沢内閣では政治改革解散となったが、過半数を大きく下回り野党に転落。自民政権が終わった流れを追った。第2次自民党時代の終焉(えん)として宮沢喜一と天皇訪中が取り上げられた。宮沢は強烈な反米意識を持っており、自ずと親中派になったという。

また、日本の歴史認識を歪めた3人リベラル政治家として細川護煕、村山富市、河野洋平に焦点が当てられた。細川は「あの戦争は侵略戦争であった」と戦後初めて言い切った首相となり、「河野談話」「村山談話」という流れになったという。

第3次自民党の凋落(ちょうらく)として、安倍、福田、麻生と1年ずつ交代していく短命内閣が3代続き政権交代となった流れが解説された。ここで特筆されることとして、1996年の第1次橋本内閣での小選挙区解散と2000年の第1次森内閣の「神の国」解散が挙げられた。05年には第2次小泉内閣が郵政解散。「小泉政治」が詳しく説明された。

09年には麻生内閣が追い込まれ解散をして政権交代となった。

(続きは11月25日号で掲載)

※文中、一部敬称略

(2017年11月11日号掲載)

 

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