【NY歴史問題研究会 通信】vol. 6 戦後政治史と政治家の矜持 「救国宰相」の試練〈下〉

0

氾濫する情報の中に真実を見る目を養う大切さを問う

第62回例会(10月例会)-2

ニューヨーク歴史問題研究会は10月20日、第62回例会(10月例会)「戦後政治史と政治家の矜持:「救国宰相」の試練」を開催した。2日後に衆議院総選挙を控えた開催であったことから、「自民党を中心とした戦後政治史と、宰相に求められる資質」というテーマで語られた。11日号に引き続き、その内容を紹介する。

偏向報道について日本のテレビ画面や新聞、週刊誌だけでなく、グラフなどの分析も交え説明された

偏向報道について日本のテレビ画面や新聞、週刊誌だけでなく、グラフなどの分析も交え説明された

休憩をはさんで、「今回の話は、自分たちが歴史の証人になっていて、“ああ、そうだったな”と振り返られる話」と、同会会長の髙崎康裕氏が講演を続けた。

後半はまず、第1次安倍政権の成り立ちと、倒閣の原因を振り返った。大きな実績として「教育基本法の改正」「防衛庁の省へ昇格」「国民投票法成立」などを挙げ、現在の“憲法改正の下準備である”とした。
しかし、ここからメディアといった反安倍陣営の攻撃が始まったという。

ここであらためて自民党衆議院席占有率の推移のグラフを示し、選挙の流れを振り返り、「マスコミの報道は非常に大きい」と述べた。

竹下登の「歌手1年、総理2年の使い捨て」という言葉を紹介し、政治が混乱し、安定しなかった流れを説明した。なぜこんなことになったかというとメディアにあおられたこともあって、有権者は無節操に次々と新しい政治の主役を求めてきたからだという。

次にメディアは何を考えているのかということを焦点を当てた。メディアは「政府は罰せられなけばいけない」という民主主義のもともとのイデオロギーを今でも奉じているのではないかと思うと髙崎氏は語った。

極端な偏向報道は今でも続いているとして、今回の選挙でも「選挙のためだったら何でもするという、無責任な勢力に負けるわけにはいかない」と語った安倍首相の言葉が「選挙のためだったら何でもすると安倍首相は語った」と報道されたことが紹介された。

こうした日本のテレビや新聞、週刊誌など報道の具体的な例を写真だけでなく、分析したグラフも合わせて解説した。

「国民はメディアによって左右された投票行動を取ってきた」と髙崎氏は述べ、「風に流される」ことについて掘り下げた。政治は人心掌握が要であるとし、民意よりも民心に沿った判断をしがちである。民主主義は正しいというよりも、好きか嫌いかで判断する危険性を持つと説いた。民主主義においては政府が客観的に「悪い」かどうかでなく、人々の気まぐれな感じ方によると髙崎氏は強調した。

次に2012年の「近いうち解散」から第4次自民党、14年の第2次安倍内閣のアベノミクス解散といった最近の流れの紹介の後、今回の総選挙での関連で集団的自衛権が取り上げられた。安倍首相が「日本人の命を守る切れ目ない備え」と法制化の必要性を強調していることと、反対勢力の系譜が詳しく説明された。それに合わせ、憲法の役割と国家権力との関係が説かれた。国家と国民はよりよき国家作りのための協同体であり、それを規定するのが憲法とみるべきというのが現代の憲法解釈の主流なのだが、その点を日本のマスコミも言わないのはさびしいことだと、髙崎氏は述べた。

「集団的自衛権は行使できない」との新解釈は日本という国家が国民の生命安全を守るという最も重要な役割を放棄したとも言えると指摘。それが端的に現れたのが北朝鮮による日本人拉致事件だと述べた。

また、安全保障や国家観に根本的な欠陥を抱えている状態を「戦後」と言い表してきたと説明した。

安保関連法案の成立にも触れた後、今回の選挙について「危機突破解散」、未曾有の危機を誰に任せるのか、一にも二にも安全保障を考えたとき、この時期しか解散と選挙はなかったと、髙崎氏は強調し、ただ、こうしたことは国民の耳に到達していないと述べた。

日米同盟を強化する意味が丁寧に説かれ、米国の“本音”の部分にも触れられた。

哲学者の田中美知太郎の『ただ一人の支配』も紹介し、あるべき宰相の姿が語られた。また、政治とは、極めて過酷で孤独な仕事であり、他者と同じであることに喜びを感じるような人物では務まらないと述べた。

最後にチャーチルは「日本が、元のまともな国に戻るは、今後100年はかかるだろう」と言った話を紹介し、日本人が「日本人の心」の取り戻した時に、日本は本当に立ち直れるとし、歴史を学ぶ意義もそこにあると締めくくると、会場は拍手で包まれた。

 

※文中、一部敬称略

(2017年11月25日号掲載)

 

(過去記事はこちらでまとめてご覧になれます)

Share.