〈コラム〉「霞が関」雑感

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倫理研究所理事​長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第154回

東京に不案内な人が、中央官庁が集まる霞が関に行こうとした。スマホでしっかりルートを検索したのに、東武東上線の「霞ヶ関」の駅(埼玉県川越市)に行ってしまったという。

行くはずの都内の地下鉄の駅名は「霞ケ関」と「ケ」の字が大きい。しかもその地名は「霞が関」と「が」になっているので煩わしい。

その一帯は江戸時代に大名屋敷が立ち並び、明治に入って官庁街として整備された。関所から雲霞を隔てた遠方を望むことができることに、その名は由来するという。

その霞が関に日本初の超高層ビル(地上36階、高さ147メートル)がオープンしたのは1968年だった。東京ドームが現れるまでは、巨大な物の大きさや量を表すのに「霞が関ビル◯個分(◯杯分)」とよく使われた。

「霞」とは、大気中に低くたちこめた薄い霧のような水蒸気で、平安時代あたりから春は霞、秋は霧と区別されるようになったらしい。『万葉集』にも霞を詠み込んだたくさんの和歌がある。

□ひさかたの天の香具山この夕(ゆうべ)霞たなびく春立つらしも(柿本人麻呂歌集)
□ひばり上がる春へとさやになりぬれば都も見えず霞たなびく(大伴家持)
□冬過ぎて春来るらし朝日さす春日の山に霞たなびく (詠み人知らず)

野や山にうっすらと霞たなびく光景に、日本人は何ともいえない情緒を感じてきた。言語の上でも、はっきり断定的に言うより、霞がかかったような、薄衣を着せたような曖昧表現を日本人は好む。それはそれとして、国会や議会では明確な答弁をしてもらいたい。

昨年2月27日の衆議院予算委員会における岸田内閣総理大臣の答弁の一節──「これは、このやり取りの中で、子供、子育て予算の倍増の基準や期限を尋ねられ、まずは何が有効で何をやるべきかという政策の中身をしっかり整理したいと述べた上で、効果的な予算の必要性を訴える中で、いつ予算の倍増がなされるかについては、今決まっているものではないが、なるべく早く達成できるよう努力したい旨を述べたと理解をしており…」

なんだろう、これは。まことに歯切れが悪い。官僚たちは首相や大臣の答弁の下書きをよく作る。もちろん論旨明確な答弁もあるが、引用したような、煙、いや霞にとり巻かれた気になる答弁もある。だから中央官庁の集まる一体を「霞が関」と呼ぶのだろうか(いや、冗談)。

ちなみに、視力が衰えて対象物がぼんやりと見えることを「目に霞がかかる」と言う。老眼とはまた違う、白内障の前兆のような老化現象の一つである。

優秀な者が現れたがために存在が目立たなくなることを「〜が霞んで見える」とも言う。

老いと共に視力が衰えたり、存在が霞んでいくのは仕方がない。ならばいっそのこと、霞を食って生きる仙人を目指すのはいかがであろう。憂き世を離れた山中は、きっと快適にちがいない。

(次回は2月第2週号掲載)

〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。一般社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)『至心に生きる 丸山敏雄をめぐる人たち』(倫理研究所刊)ほか多数。

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