〈コラム〉ケン青木の新・男は外見 第105回

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“スーツ”について その6
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前回(3月12日号掲載)は、縫製の良し悪しとはどういうことで、何が価値判断の基準なのか、彼我の考え方の差について少しだけ触れました。今回もまた少しご説明を加えていきたく思います。

昨今、日本の事情も変わってきているとは言え、まだまだわが日本において縫製が良い=“縫い目がきっちりそろっていて見た目が美しい”といった認識をお持ちの方が多数派です。そして“丈夫で長持ちなこと”も併せて“手抜きのない良心的縫製”の証明として重要視されております。対して欧米においては、前2項も大変重要な要素ながら、良い縫製として、より重要視されるのが洋服を着用された方の“佇(ただず)まい”、すなわち着装時のプロポーションがより美しくかつ生き生き見えることで、さらには服が体の動きを妨げることなく、動いた際に服地の“ドレープ=生地のゆとり”がなんとも言えず美しいことなども併せて重要視される様なのです。以上のように“良い縫製、良い服”に対する価値判断、評価基準が彼我では随分違うということ。それ故、私たちは洋服のことをまだ何も分かっていないetc. と時に言われてしまうことがあるのかもしれません…。

また、服の縫い目について単純に比較して、日本のスーツは縫い目が細かくそろっている、だから縫製が良い、イタリアのスーツは縫い目が雑、だから手抜きで縫製が悪い…、などと決めつけてしまうのは早計、ということもあるのです…。こうしたお話を一般の消費者の皆さまにお話してご理解いただくことは容易でないことはもちろんです。なぜなら私たち日本人には、長い歴史とその中で育まれてきた着物の伝統文化があり、培われてきた価値判断基準、認識を洋服においても持ってしまうことは自然なことであり、ある意味当然とも言えるのです。だからこそ、私たちは普段から意識して西洋について、特に彼らの歴史的価値観、美意識などについて学ぶ必要があると言えるのです。それではまた。

(次回は3月26日号掲載)

32523_120089421361491_100000813015286_106219_7322351_n〈プロフィル〉 ケン青木(けん・あおき) ニューヨークに21年在住。日系アパレルメーカーの米国法人代表取締役を経て、現在、注文服をベースにしたコンサルティングを行っている。日本にも年4回出張。

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