〈コラム〉ケン青木の新・男は外見 第61回

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注文服と既製服  part 6

kenaoki0426ここではっきり書いておきますが、私たち日本人は、新しい情報をそれなりに認識し、それ以前のものと的確に比較検討することについては得意としているのです。例えば、現在流行しているモノを的確に知覚し、日々の生活に取り入れ、“流行“を楽しむことについては上手といえるのですが、本質的な“美意識”について優れた“目“を持っているのか、と問われれば、残念ながらYESと答えるのにはためらいがあります。
ここ四半世紀の日本の紳士服についての流れを見てみましても、結局は市場の動向に支配、左右された商品、服ばかりが売れておりました。1990年代初めのころの日本は、紳士服はゆったりしたカットであればあるほど、なぜか“おしゃれ”で“ファッショナブル”とされ、近現代の紳士服の数百年の歴史を受け継ぐクラシック、またはトラディショナルと呼ばれる“正統的”スタイルはあまり顧みられませんでした。いわゆる日本の知的上流階級と呼ばれる男性たちの最大の欠点が実は服装なのです。欧米の社会には、そのような男性に特有のスタイルが服装については厳然と存在し、そのような人たちの中に入り、溶け込んでいこうとすれば、どうしてもクラシック、もしくはトラディショナルな紳士服に身を装わねばならなくなってくるものなのです。そのような紳士服とは、実は個人の履歴書なのです。日本人同士では紳士服について、そうした知識も認識もないので何を着ていようが、取りあえず上着にシャツ着てネクタイ締めていれば、それでカッコはつくのですが、ここではなかなかそうはいかない場合があるのです。このような服飾知識は、日本の有名紳士服飾雑誌を読んでいても身に付くものではありません。なぜなら、本物の紳士服とは、実はそうした世界に属する者たちの間の暗号でもあるからなのです。このような意味において、戦前の日本のエリートの男性諸氏の方がはるかに服装の重要性を正しく認識していたといえるでしょう。それではまた。
(次回は4月第4週号掲載)

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〈プロフィル〉 ケン青木(けん・あおき) ニューヨークに21年在住。日系アパレルメーカーの米国法人代表取締役を経て、現在、注文服をベースにしたコンサルティングを行っている。日本にも年4回出張。

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