料理家・ひでこコルトンさんにクローズアップ!(前編)

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ニューヨークで活躍する日本人にインタビュー

外資金融ウーマンから40代で人気料理家に転身!

彼女はどうやって夢を形にしてきたのか

ニューヨークのウォール街でバリバリ働く金融ウーマンから、40代で全くの異業種である料理家の世界へ華やかに転身したひでこコルトンさん。「NY流おもてなし」をテーマに今や予約がとれない人気の料理教室を主宰し、米国フジテレビの料理番組では3年間レギュラー出演。去年には講談社より念願のレシピ本も出版。前編では飛ぶ鳥を落とす勢いの彼女が、どうやって夢を形にしてきたのかその道のりを伺っていきたいと思います。
(インタビュアー:ニューヨーク在住コラムニストさめこ)

後編はこちら>>

 

ひでこコルトン

 

10歳で母を亡くし、自然とキッチンに立つように

3人姉妹の長女として生まれ、やんちゃな子供時代を過ごしたというコルトンさん。しかし10歳の時に母を胃ガンで亡くすという悲劇が襲います。
「父は仕事で忙しく当時7歳と5歳の妹もいたので、私がなんとかしなくちゃという気持ちがありました。また私自身が食べる事が大好きでしたし、幸いなことにその当時食事やお掃除など家事をしてくれていたお手伝いさんが料理上手だったので、彼女の料理を見よう見まねで教わりながらキッチンに立つようになりました。でもまだこの頃は、将来料理の世界に行くなど考えてもいませんでしたね」

金融業界へ就職

大学卒業後に日本長期信用銀行に入社。
「白黒ハッキリした数字の世界は実はとても好きで金融業界に就職したのですが、銀行は何故か数年で飽きてしてしまい、もっとグローバルでチャレンジングな仕事がしたいと思うようになりました」
そのため外資金融へ転職することを考え始めましたが、当時の英語力だと夢のまた夢。英語を学ぶ為ニューヨークにある名門コロンビア大学に留学し、帰国後モルガン・スタンレー証券に見事就職しました。
当時はちょうどバブル期。
「接待やお仕事でクライアントと素敵なレストランに行く機会にも恵まれ舌が肥えたのは確かでしょう。(笑) この時からじわじわとレストラン研究にはまり、また食べ歩きに燃えていた時代でもありました!」
またこの時期に、最初のご主人となるアメリカ人男性と出会い結婚。元々彼はニューヨーク本社勤務で一時的に東京本社で働いていたので、赴任期間が終わると同時に二人でニューヨークに戻り結婚生活が始まりました。

アメリカ料理を学び始める

「何度かパリに訪れる機会がありフランス文化、そしてフランス料理にとても興味を持ったため、パリで暮らして料理を学ぶことを真剣に考えていました。でもNYに住むことになり、世界の味が集まるこの場所でその食文化にも触れていくうちに、またアメリカ人の家庭料理というものを次第に理解していくうちに、アメリカ料理のルーツそして進化したNY料理とは一体どんなものなのか真剣に勉強したいと思うようになりました」
そこで世界一の料理大学といわれるカナリー・インスティテュート・アメリカで学び始めることに。でもその頃はまだ料理教室を主宰したいという明確な夢はなく、漠然とフードビジネスに興味があるというぐらいでした。

5年間の結婚生活に終止符を打つことに

料理学校を卒業した頃、コルトンさんは30代前半。そろそろ子供も欲しいなと思っていましたが、夫婦関係がうまくいかず5年間の結婚生活に終止符を打つことに。
日本に帰ろうかと悩んだけれど、ニューヨークが辛い思い出になるのは嫌。もう少しこの街で頑張ろうと思い、再び外資系証券会社に就職しました。
「日本人がほとんどいない職場で米国株式のセールスという仕事をしていました。これはもうチャレンジが多くかなり燃えましたね!(笑)まずはアメリカ人と同等に仕事をこなしていかなくてはならない、そして株を通じてあらゆる業種の米国企業を理解しなくてはならないなどやりがいだらけです。だから学ぶことが本当に多く、毎日がチャレンジの連続で楽しかったです。もう朝から晩まで夢中で働いていましたね。」

運命の出会いから再婚

仕事は楽しかったけれど、やはり幼い頃母を亡くしているので子供はどうしても欲しいと思っていたコルトンさん。もちろん将来のパートナーに出会いたいという強い願望も。でも周りには独身男性が少なく、将来の旦那さんを探すのは大変でした。
「日本でも流行ったドラマSex&The Cityが私の独身時代に大ヒットしていましたが、まさにその世界でドラマの主人公のようにニューヨークでは結婚相手を見つけるのが難しいと痛感していました(笑)! それでも友人達には『結婚して子供が産みたいから、誰かいい人がいたら紹介して』と言い続けて今の主人に出会うことができたのです」
ある平日の昼間突然に友人から職場に「ひでこに紹介したい人がいるの」と電話がありました。早速その彼と電話で繋いでくれてコンファレンスコール!(笑)その日の夕方に会社のロビーで会いましょうという流れに。
かなりの急展開だったものの、現れた男性は4つ年下の飾らない可愛らしい男性でした。その後順調にお付き合いをし、出会ってから2年目で結婚。その2年後には念願だった子供が授かりました。

リーマンショックがキッカケで起業

予定日の数日前まで出勤そして出産、その後3カ月間の産休を終えベビーシッターを雇い仕事に復帰。出産前と変わらない働きづめの毎日が始まりました。
しかしそんな矢先にリーマンショックが起きて、今までとは考え方がガラっと変わってしまったのです。ずっと欲しかった子供が生まれてもっと一緒にいたいのに、私はなんで朝から晩まで働いているのだろうと疑問を持つようになったのです。
「株の仕事は楽しいけれど、このままおばあちゃんになるまで続けていくイメージが湧かない。であればこれからは子供との時間を楽しみながら、一生続けていきたいと思えるライフワーク=フードビジネスで起業したいと思いました」
42歳の時にそう決意し会社を辞職。また新たな道を進み始めました。

有名シェフとのクッキングイベントを開催

「当時はアメリカ人の友達が多かったので、最初は日本食をアメリカ人に教えようと思っていました。私はこれまで株のセールスとして、日本の機関投資家とアメリカ人アナリストや企業トップなどの間に入ることに慣れていました。だから料理の世界でもそういう仕事をやってみたいと思う様になりました」
そんなある日、家族ぐるみでお付き合いのあるカリスマシェフのデビット・バークさんに「食を通して日本とアメリカの懸け橋になりたい」とビジネスの話をもちかけたところ、一緒にクッキングイベントを開催することに。
やると決まったらまずは集客! その当時はまだFacebook等SNSがなかった時代なので、自分で日系スーパーやレストランに張り紙を貼ったりチラシを配ったり、フリーペーパーに広告を出稿したりして人を集めたのです。当日は貸し切りにした彼のレストランがいっぱいになるぐらい大勢の日本人が集まりました。お客さんの目の前でデビット・バーグさんが料理を作り、それをコルトンさんが日本語で解説するという今までにないパーティーは大盛況に終わりました。参加者からは「次回も是非開催してほしい」という声も多かったと言います。
しかし有名レストランを貸し切るのはかなりのコストがかかってしまうことと、デビットさんのスケジュールが合わなかったりとその後開催されることはありませんでした。

 

ひでこコルトン

 

なんとティファニーからも仕事の依頼が!

前回の料理イベントが出来ないとなると、次はどんなビジネスを仕掛けようと考えていたコルトンさん。そんな時ティファニー ニューヨーク本社からある依頼がありました。その依頼とは「社長が世界の支店長を毎年NYに集めて会議を行う為、食を通じて彼らのチームワークを強化するイベントをしたい」というもの。
このイベントでも前回組んだデビット・バークさんに講師をお願いする予定でしたが、残念ながら都合が合わず、同じくニューヨークでも有名なカリスマシェフのダニエルさんにお願いすることに。結果、ダニエルさん考案のカクテルやおつまみなどのレシピを学びながら、参加者同士のネットワークを築いていくというニューヨークならではのパーティは大成功でした。
「この経験を通して、食には人と人を繋げる素晴らしい力があると感じました。そして私も自分の料理への情熱を活かしたお料理教室をやってみたいと思う様になったのです。それもただ単に料理を教えるのではなく、作る楽しさやNYならではの食材の組み合わせ、ゲストを楽しませるコツ、そしてカクテルからテーブルトップに至るまで生徒さまが気軽にNYらしいおもてなしができるようなクラスにしようと決めたのです」

2010年にNY流おもてなし料理教室、スタート!

「ニューヨークはブロードウェイやメトリポリタンオペラハウスもあり、有名な美術館やギャラリーもたくさんあります。そう日常の中にエンターテイメントが溢れているんです。その為、ニューヨーカーは人を楽しませるのが上手。それはホームパーティだって同じです。これは長年NYに住んでいてお洒落なパーティーや感動のおもてなしを色々見てきて学んだことなんです。退屈を嫌うニューヨーカー、本格的な上級パーティーではホストはゲストをいかに楽しませるか知恵を絞り工夫を凝らします」
コルトンさんが提案するNY流おもてなし料理も、ゲストが「こんなパーティー初めて!」と驚き喜ぶようなエンターテイメントが散りばめられた料理。毎回必ずテーマを決めて、それに沿った料理と空間演出を大事にしています。
「例えばバレンタインの時期であれば、テーマカラーはマゼンタピンクと決めます。そして料理やテーブルコーディネートだけでなく料理やカクテルにもピンクをとりいれたり、フードからもムードを盛り上げます。またロマンティックな音楽や香りにもこだわって、女性がキュンキュンするような仕掛けをたくさん作るのです」
そんなクリエイティブなレシピや空間プロデュースに、「ここは普通の料理教室じゃない! 五感をフルに楽しませてくれる3D体験的な料理教室ですね!」と感動する生徒さんも多いのだとか。
また中には海外からファンレターをくれる方がいたり、日本からお忍びで通う芸能人や、会社を辞めてニューヨークへ習いに来る生徒さんもいるそう。
そうやって徐々にクチコミで生徒さんが増えていき、今ではメンバー数がNYと日本で約1600人。ご縁が繋がって米国フジテレビの料理コーナーのレギュラーを担当する機会にも恵まれました。

 

ひでこコルトン

 

5年後には認定講座も開講

「お客さまの約80%は駐在の奥さまなのですが、すごく勉強熱心な方が多いんです。また留学やお仕事で来られている女性達から『日本に帰ったら自分でNYスタイルの料理教室を主宰したいので資格を作ってください』とご要望いただき認定講座を作りました」
認定講座は全てオートクチュール形式。例えば薬膳やビーガンを取り入れながらもニューヨークらしい華やかさを演出した料理教室を行いたい、子供向け料理に特化したNYが得意とする遊び心満載の料理教室を行いたいなど、生徒さまが将来やりたいことを理解した上でアドバイスさせていただいています。

去年念願のレシピ本を出版

お料理教室に来たくてもNYまで来れなかったりお子様が小さかったりと様々な事情で参加できない方の為にレシピ本を出版したいと思い立ったコルトンさん。早速日本に帰国した際に大手出版社へアポをとりました。編集者へNY流おもてなし料理について熱く語った所その想いが届き、なんと講談社から出版することが決まったのです。
慣れない日本で1日20品以上作るような過酷な撮影をこなし制作された、コルトンさんの知識やセンスが凝縮されたレシピ本「NYのおもてなしレシピ」は、日本だけでなくニューヨークでも大好評! NYの紀伊國屋書店では発売されるやいなや即完売で、なかなか手に入らないほどでした。

著書『NYのおもてなしレシピ』はこちら

 

ひでこコルトン

 

これからは「美しく美味しいニッポン」も伝えたい

これから挑戦したいことの一つは「日本のおもてなし」を世界に伝えていくこと。「ニューヨークは人種のるつぼ!世界中から様々な人種や文化を持った人が集まります。その中で自分のルーツやアイデンティティを持っていることは大切で、それらを活かした私なりの「美しく美味しいニッポン」を伝えていけたらと思っています。長年NYに住みアメリカ人感覚も持ち合わせているからこそできる、世界で通じる『和』を”私のスタイル”でご紹介していきたいです」
また日本に住んでいてなかなかNYまで来られない生徒さまや、小さいお子さまがいて料理教室に参加できない方の為に動画を配信するなどの新しい試みや、料理だけでなくその空間やカクテル、お花に香り、音楽等トータルプロデュースのNYスタイルのイベントもこれからもたくさん手がけていきたいとのこと。
挑戦したいことが沢山あるコルトンさん。これからも次々と夢を実現していくだろう彼女から目から離せません。

後編ではコルトンさん流「好きなことを仕事にする方法」や「仕事・結婚生活・子育てを両立する方法」を伺ってきました!(6月10日アップ予定)

 

ひでこコルトン
料理家、COLTONS NEWYORK代表取締役。
CIA(Culinary Institute of America)で料理の基礎を学ぶ。外資系投資銀行に10年勤務した後、会社を立ち上げる。新聞や雑誌等で幅広く掲載され、2012年より米国フジテレビ・料理コーナーに出演中。クラスは日本からお忍びで参加する芸能人や旅行者、そして現地駐在員の奥様でいつも満席。メンバーは既に1,500名を超える。初めての著書「NYのおもてなしレシピ」が講談社より好評発売中。

 

インタビュアー:さめこ
青山学院大学フランス文学科を卒業後、IT企業にてWEB広告制作・メディア編集者として7年間勤務。プライベートではマクロビオティックやローフード、オーガニック料理ソムリエなどの資格を取得し料理教室を主宰していた。現在はニューヨークにてコラムやインタビュー記事を始め執筆活動をしている。個人ブログ「さめこのニューヨーク通信」やinstagramでもニューヨーク情報を発信中。

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