〈コラム〉多様なものの見方を

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倫理研究所理事​長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第120回

2度目となる「東京五輪」の開催決定に国中が湧いたのは2013年9月だった。しかしその後はトラブル続きである。会場計画が大幅な見直しを迫られ、大会公式エンブレムは発表されながら変更に。贈賄疑惑により当時のJOC会長が辞任し、経費の分担をめぐる紛糾が繰り返された。

そして本番となる昨年は、コロナパンデミックにより大会そのものが延期となる。年が明けると再び東京などに緊急事態が宣言され、オリ・パラ開催に向けて国民の熱は上昇しない。その上に、大会組織委員会の森喜朗会長が女性蔑視発言で辞任に追い込まれるとは、踏んだり蹴ったりである。

森氏は首相時代にも、軽率な発言にマスメディアから集中砲火を浴びせられて退陣した「経歴」を有する。今回は国内だけでなく、世界各国から囂々たる批判も浴びた。しかしこの騒ぎ、発言の一部分を切り取ったメディアの過剰反応ではなかったか。森氏の軽口は、はたして男女平等に反した人権侵害に当たるものなのか。筆者は「集団いじめ」としか思えなかった。

むしろ警戒すべきは、ポリティカル・コレクトネスとも呼ばれる上辺の正義を振りかざして攻撃する風潮が広がることである。2004年の年末にブッシュアメリカ大統領が「メリー・クリスマス」ではなく「ハッピー・ホリデーズ」と述べたのを思い出す。差別的用語と決めつけた言葉狩りは、ずいぶん前から日本でも流行した。

「誰でも平等に扱え」とは、理想であっても現実は不可能。性別による違いを口にするだけですぐに差別だと糾弾するようでは、男女のしみじみとした深い情愛などわかるはずがない。と言えばまた差別だ、と叱られるだろうか…。

日本社会にはいまだに女性蔑視が深く根づいている、と非難する人が多い。けれども日本の生活文化を多方面から見ると、女性が大切にされてきたことを物語る生活習慣がいくつも見出せる。たとえば出産が近い女性は、母屋とは別に建てられた小屋に移って子を産んだ。女性はゲガレているから隔離するという通説だが、そもそもケガレとは神聖さの反面でもある。多忙な日常から解放された産屋でゆっくりと時を過ごすのは、女性だけの特権でもあった。

アメリカ映画を観ると、夫が妻に何度も「アイ・ラブ・ユー」を投げかけるシーンが目につく。日本人にそのような風習はない。筆者も気恥ずかしくて、とても言えない。それは性差別などではなく、文化の違いである。女性の側も心得ている。言葉に出すより、出さなくても伝わる気持ちを大切にしたいと、日本人の多くは思うのだ。

最近出した拙著『経営力を磨く』にも書いたが、日本に造詣の深いピーター・ドラッカーはさすがによく知っている。いわく「(日本の)女性は家にあって従順でありながら、実際の家庭生活では女性が権力と財布のひもを握っている」。

多様性を大事にするのであれば、ものの見方も多様でありたい。そのために肝心なのは、一方にのみ偏しないバランス感覚と寛容の精神である。それなくして、東京オリ・パラのモットー「United by Emotion」は実現しないだろう。

(次回は4月第2週号掲載)

〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。一般社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)ほか多数。最新刊『経営力を磨く』(倫理研究所刊)。

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