〈コラム〉「種」に挑んだ2人

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倫理研究所理事​長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第136回

1809年2月12日に、歴史に名を刻む偉大な2人が生まれた。イギリスのチャールズ・ダーウィンとアメリカのエイブラハム・リンカーンである。

言うまでもなくダーウィンは『種の起源』を著し、独特な進化論を唱えた博物学者である。その昔、筆者が大学の哲学科の最初の授業に出たとき、学生たちは教授からこんな質問を受けた──「19世紀の思想で世界にもっとも衝撃を与え、その後も与え続けた人物は誰だ?」

ほとんどは「カール・マルクスだ」と答えたけれども、教授いわく「それは違う、チャールズ・ダーウィンだよ」。たしかに進化論は自然科学の理論であると同時に、一つの壮大な思想でもあり、キリスト教社会は震撼せしめられた。

他方、リンカーンはアメリカ合衆国の第16代大統領である。歴代初の共和党所属で、任期中に暗殺された最初の大統領となった。エイブ(Abe)の愛称で呼ばれ、「奴隷解放の父」と称えられてきた。

ダーウィンとリンカーン──たまたま生年月日が同じというだけで、活躍した分野もまったく異なり、出会ったこともなければ、何の関わり合いもない。ところが2人には隠れた共通点があると思える。それは何か?

こじつけかもしれないが、それはどちらも「種に挑んだ」ということだ。ダーウィンは科学者として「生物の種」の謎に挑み、リンカーンは政治家として「人種」という厄介な問題に取り組んだ。

『種の起源』を開くと、序文の最後にこうある。「おのおのの種は個々に創造されたものだという見解──はまちがっているということに、疑いをいだくことはできなくなっている」。これは爆弾発言である。そんな説を容認したら、バイブルの信仰は成り立たなくなってしまう。ダーウィン自身も猛反発を予期して、『種の起源』の出版をビーグル号での航海から帰国して何十年も後に引き延ばした。

他方、エイブラハム・リンカーンは「人種」の差別という大問題に挑んだ。今でこそ自由と民主主義を誇るアメリカだが、かつては人種差別と奴隷制度によって支えられた国だった。そこにリンカーンが登場し、南北戦争後の1863年に合衆国憲法が修正され、奴隷制度は廃止された。

果たして多様な生物は、ダーウィンの言う通り一元の種から進化してきたのか。筆者は間違いだと思っているが、ならば「種の起源」とは何なのか?

リンカーンは人種差別までは解消できず、1980年代からアメリカで始まったポリティカル・コレクトネスの主張は、リンカーンをも否定する勢いになっているという。それは彼が先住民のネイティブアメリカンから文化を奪い、農業を強制する「ホームステッド法」(自営農地法、1862年)を公布したからである。

ダーウィンとリンカーンという生年月日を同じくする2人の偉人が、「種」という一つの語によって結びつき、未来の人類的な課題を示したことに、思いを馳せてみてはどうであろうか。

(次回は8月第2週号掲載)

〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。一般社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)ほか多数。最新刊『至心に生きる 丸山敏雄をめぐる人たち』(倫理研究所刊)。

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