〈コラム〉エゴイストから伝統を守る

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倫理研究所理事​長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第87回

来年4月いっぱいで今上陛下は譲位され、「平成」の御代は終わる。新しい天皇は秋に即位の儀式を行って内外に示し、つづいて大嘗祭を執行される。

大嘗祭とは、即位後に初めて行う新嘗(にいなめ)祭で、古くは「おほにへのまつり」と呼ばれた。新嘗祭は毎年11月に天皇が行う収穫祭で、その年の新穀を天皇が神に捧げ、天皇自らも食す祭儀である。

古代の大嘗祭は4日も要する日本最大の祭儀だった。それだけにさまざまな調度品が全国から集められる。とりわけ重要な2種の織物は、古来、徳島県と愛知県東部から調達されてきた。阿波踊りで知られる徳島県で作られるのは、麁服(あらたえ)という麻の織物で、古代豪族の忌部氏(いんべうじ)が調達を担当してきた。献上されるのは、阿波忌部の直系である三木家で造られた麁服でなければならない。

三木の本家は剣山(つるぎさん)山系の山の中にある。国の重要文化財にもなっているその本家を、去る5月6日に訪ねたところ、偶然にも当主の三木信夫氏が在宅されていて(通常は大阪に在住)、親しくお話を伺うことができた。「どうして麁服は三木家で造られたものでなければならないのですか?」と尋ねたところ、ズバリこう言われた。──「それは、平安時代にそう決められたからです」と。

明快この上ない。古代にはそれなりの理由があったのかもしれないが、もはや理由などどうでもいい。大昔にそう決められ、そう伝承され、守られてきたことに値打ちがある。伝統とはそういうものである。

ところが近代文明では、理に合わないものは排除してもかまわない、という考え方(合理主義)が幅をきかせる。近代化が推し進められた明治以降の日本で、生活の中からどれほど多くの伝統や慣習が消えていったであろう。

理に合わないというだけではない。個人主義の現代社会では、迷惑だ、邪魔だ、うるさいといった理由で、長くつづけられてきた伝統を壊そうとする力も働く。たとえば除夜の鐘だ。「夜中にいつまでも鳴り響いてうるさい、止めてくれ」といった苦情が、大晦日には近隣住民からあちこちの寺に寄せられると聞く。

なんたる自分勝手なクレーマーであることか。仕方なく、除夜の鐘を自粛したり、檀家の賛同を得て半日ほど早くから鐘撞きを開始した寺もある。「除夕の鐘」など聞いたことがない。そのうち「盆踊り」も各地で中止されていくのではないか。

餅つきという伝統行事も、集団食中毒の危険があるからと、数年前から各地で取りやめになった。「保育園ができると子供の声がうるさいから中止しろ」というクレームは前々からあるが、そんな了見の狭い国民ばかりでは、少子化の流れを止められるわけがない。

「麻の栽培は来年4月から始まりますよ」と三木信夫氏は教えてくれた。畑作り、種まきから織るまでの一連の作業すべてを、これから三木家が司っていく。一つひとつが厳かな神事にほかならない。山深い土地に、そうした伝統が守り伝えられていることがなんともゆかしい。

(次回は7月第2週号掲載)

丸山敏秋

〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『「いのち」の輝き』(新世書房)など多数。

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