〈コラム〉「そうえん」オーナー 山口 政昭「医食同源」

0

マクロビオティック・レストラン(31)

アパートが見つかるまで、Hさんのアパートに転がり込みました(Hさんは私が書店をクビになったとき自分が任されているレストランの皿洗いに拾ってくれた人です)。
Hさんはアッパー・ウエストサイドの日本人の兄貴分的存在で彼の大きなアパートにはそのころ個性のある日本人が、ちょうどヘミングウェイやフィッツジェラルドなどが出入りしたパリのスタイン女史の家のように数多く出入りしていました。モスクワで二年間レオニード・コーガンに習ったというバイオリニストや大物の写真家のアシスタントのアシスタント、それに芸術かエロかわからないような絵を描く画家、本人は傑作だと言うが英単語を並べただけにしか見えない自称詩人、第二の早川雪洲を目指すと口だけは達者な俳優、ハリウッドに送る脚本を書いているが採用されれば大ヒットまちがいなしと信じている日本の私大の英文科出身の男、旅行記を書くために旅行しているような男など。
みな夢を実現するために海を渡って来たのでしょうが夢を現実にするのは宝くじの特等に当たるくらいにむずかしい。多くが進路変更を余儀なくされるか、四十歳、五十歳になってもまだ夢を追いかけているかのいずれかでしょう。
H氏宅に出入りしていたのは男ばかりでした。私が勤務していた日本の書店でも若い女性客はすくなく、私も滞在していた「ホテル・バンコートランド」でも、二百人くらい住んでいた日本人旅行者のうち女性はわずか数人でした。日本人女性は当時、海外に行くのがむずかしかったようです。
H一家の主要メンバーであった写真家志望の日向野さんは、私がヨーロッパに行っているときに父親が輪禍に遭い、泣きながら帰ったと聞きました。
私も海外にいていちばん気になるのが家族の健康で、もし両親のどちらかが倒れでもしたら、私も帰っていたでしょう。そういう意味では家から離れている人たちは、みな家族の無事、幸福をいちように願っているはずです。日向野さんは口は悪いが裏表のない気持ちのさっぱりした男でしたから、アメリカにはもうこないとわかってだれもが残念がりました。そして同時に自分の身の上に起こらなかった幸運に感謝し、つかのまにせよ、それぞれの家族に思いを馳せるきっかけになったことでしょう。
(次回は8月第2週号掲載)
〈プロフィル〉山口 政昭(やまぐち まさあき) 長崎大学経済学部卒業。「そうえん」オーナー。作家。著書に「時の歩みに錘をつけて」「アメリカの空」など。1971年に渡米。バスボーイ、皿洗いなどをしながら世界80カ国を放浪。

過去の一覧

Share.