〈コラム〉「時は金なり」の真義

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倫理研究所理事長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第45回

だれもが富を得たいと願っている。豊かな暮らしを望まない人はないだろう。では、真の富や豊かさとは何なのか。財貨だけが富ではなかろう。健康や長寿はお金では買えない。心の平安という豊かさが、金品によって蝕まれることはよくある。
真にリッチな人とは、万人が平等に持ち、自由に使えながら、その使い方次第で雲泥の差が出るものを、上手に活用している人のことではないか。――時間がそうである。
一日24時間は、誰にも平等に与えられている。しかし時間の使い方は、人によってあまりにも違う。自分の時間はどうにでも自由に使える。しかし、どう使うかは、人によって実に異なる。
ボストンの貧しい蝋燭作り職人の子として生まれたベンジャミン・フランクリン(1706~1790)は、科学者として、またアメリカのデモクラシーを象徴する政治家として、数々の成功と富を勝ち取っていった。彼は平素の心がけを「他人の意見に真正面から反対したり、自分の意見をなんでも通そうとする態度をいっさい慎むのを常とした」と『自伝』で述べている。そして20代前半に「道徳的完全に到達する大胆で難儀な計画」を思いつき、自らの信念を13項目にまとめた。有名な「フランクリン13の徳」である。
そのうちの一つに〈勤勉〉がある。――「時間を空費するなかれ。つねに何か益あることに従うべし。無用の行いはすべて断つべし」。そして彼は「Time is Money」と諭した。
この格言には、資本主義社会に特有の功利的な臭いがあるが、フランクリンの真意ははもちろんちがう。儲けるためにあくせく働けというのではない。時間がいかに貴重であるかを教えているのだ。若い頃にはわからないが、人生はそれほど長くない。ラフカディオ・ハーンは満54歳で没する前に「人生は短かすぎる」と呻くようにつぶやいたという。彼より何年も長く生きてしまった筆者も、まったく同感である。
明治期に翻訳されて日本でも大ベストセラーとなったサミュエル・スマイルズ(19世紀のイギリスの作家・医者)の『自助論』にもこうある。
《時間とは消滅するものなり。かくしてその罪はわれらにあり》。
オックスフォードのオール・ソウルズ・カレッジの日時計に刻まれたこの厳粛な言葉ほど、若い人々への訓戒にふさわしいものはない。永遠なるこの世の真理の中で、わずかに時間だけはわれわれの自由裁量にまかされている。そして人生と同じように時間も、ひとたび過ぎてしまえば二度と呼び戻せはしない。
時間に関するこのような諭しは、古今不変の真理であろう。線が点の集まりであるように、時は「今」の集積である。そして時間は、止まることなく流れ行くのを本質としている。過ぎ去った時は再び来ない。「時間よ止まれ!」の魔法は、ファンタジーの中にしか存在しない。
であれば、気づいたことを後伸ばしにせず、サッとやってしまおう。そこに、新しい風も吹いてくる。 (次回は1月17日号掲載)
maruyama
〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき)
 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『今日もきっといいことがある』(新世書房)など多数。

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