〈コラム〉ケン青木の新・男は外見 第108回

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“スーツ”について その9

0514-10men-ken aoki背広またはスーツと呼ばれる男性用衣類の起こりと文化の成り立ちは、何度か申し上げております通り、近代の英国にて発祥、そして欧米全域へと広まっていったのですが、きっかけは産業革命でした。産業革命がなぜ起こったのかは別の機会に書くとしまして影響は多岐にわたりますが、手短に申し上げれば、撚糸(ねんし)及び織物の工程が機械化されたことにより、従来より細くて均質な糸が引けるようになり、結果、それまでの織物とは異なるworstedと呼ばれる生地の表面がよりフラットでスムースな、軍服やスーツにより適した生地を織り上げることができるようになったのです。こうした原材料の進化に対し、一流テーラーたちは力強く応え、今日まで受け継がれていくこととなる、テーラリングの基礎及び応用技術が18世紀末から19世紀半ばにかけて確立していったのです。

なぜ私たち日本人がいつまでたっても(スーツが日本に入ってきて以来、150年以上が経過致しておりますが)スーツの本質について一部の人たちを除き、理解があまり深まっていかないのか、少し考えてみますと、私たち日本人には歴史的に立体を見る眼があまり養われてこなかったのではないかということ、それに関連してアシンメトリーに対する民族的? と申し上げてもよいような拒否反応があることなどにも原因があるように思うのです。証拠の一つは、何かと言えば「縫製」が良いとか悪いとか表現することです。私たちには西洋の服についての良し悪しの判断基準が「縫製」しかないようです。縫い目がきれいでそろっていれば縫製が良いとされることが多過ぎるように思います。それは立体、シルエットといった三次元的要因が分かっていないからなのです。英語でTailoringという場合、本来それは生地を立体化する作業のことを意味し、さらにその立体化された生地を人間の骨格と体に動きに合わせて、生地が間髪入れず追随してくるように考えながらパーツとパーツとを手で縫い合わせていくことがその本質なのです。人間の体は丸く立体物であり、ただ縫い目がきれいにそろって丈夫、ということには意味はないのです。それではまた。
(次回は5月28日号掲載)

32523_120089421361491_100000813015286_106219_7322351_n〈プロフィル〉 ケン青木(けん・あおき) ニューヨークに21年在住。日系アパレルメーカーの米国法人代表取締役を経て、現在、注文服をベースにしたコンサルティングを行っている。日本にも年4回出張。

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