〈コラム〉運命はみずから招く

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倫理研究所理事​長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第55回

予想はよくはずれる。予期しないことが起きたり、うまくいかないことも多い。失敗がつづくと、すっかり落ち込んでしまう。そんなときにどう考えるか。大きく二つのタイプがあろう。原因を自分に求めるか、それとも他者に求めるか。

いたずらに自分を責め、自己嫌悪になるのは困る。だがまた、うまくいかない原因を他者にばかり求めるのもいただけない。失敗すると、何かにつけて責任転嫁する人は見苦しい。

責任を転嫁できる対象が見つからなくなると、たいていはこう思う。「それは、運が悪かったんだ」と。逃げ口上なのだが、そう思うとなんとなく安心する。だが「運」とはいったい何なのか。

功成り名を遂げた経営者に成功の要因を尋ねると、「それは運がよかったから」と返す人が多い。自分の力ではない、という謙遜の気持ちが込められている。ふつう「運」とは、人間個人の意志や能力には関わりなく作用すると見られているのだ。

江戸時代に水野南北という大阪生まれの観相家がいた。無頼漢の境涯から身を起こし、ついには相法の奥義を究めた。黙ってすわればピタリと当たる。南北の観相はことごとく的中し、倉がいくつも建つほど繁盛した。

しかしその南北は「食事によって運命が変わる」と教えている。いかに善相良運な人でも、美食飽食を常としていたら凶運短命の悪相となる。その逆もしかり。運勢は不動のものではないのだ。

人には変えられるものと、変えられないものとがある。男に生まれ女に生まれ、この時代に、あの親のもとで生まれ、日本人やアメリカ人として生まれたことなど、もはや変えようがない。それらは「宿命」である。宿命と運命とを混同してはいないだろうか。

過去は一切、変えることはできない。変えられないものは、ただスナオに受け入れるしかない。変えられるのは、今これからの自分だけである。

「運」とは「めぐる」とも訓む。運勢などは、ある傾向性を示し得ても、これからの人生は決定された不動のものではない。どうにでも変わるし、変えられる。思うようにならないからといって、「運」のせいにはしないことだ。「仕方がない」のではなく「仕方はある」のである。

心構えとして肝心なことは何か。それはおそらく、今の自分を、今日与えられている仕事や役割を「最上」と自覚すること。そして「運命はみずから招く」と覚悟することだろう。現在を大切にした生き方、そこから生まれる明朗な精神。それを土台に、毅然と立つのである。ベートーベンは言った。

「今、運命が私をつかむ。やるならやってみよ運命よ! 我々は自らを支配していない。始めから決定されてあることは、そうなる他はない。さあ、そうなるがよい! そして私に出来ることは何か? 運命以上のものになることだ!」
毅然と立って、運命に挑んだ人がここにもいた。

(次回は11月第2週号掲載)

丸山敏秋

〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『「いのち」の輝き』(新世書房)など多数。

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