〈コラム〉奇跡のリンゴ

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丸山敏秋「風のゆくえ」第28回

去る6月8日に映画『奇跡のリンゴ』(東宝)が封切られた。無農薬・無肥料のリンゴ栽培に成功した青森県弘前市のリンゴ農家・木村秋則さんの実話にもとづく作品だ。5月のフィレンツェ映画祭では観客賞を受賞。男の執念と家族愛を描いたこの映画が、いま感動のうねりを巻き起こしている。
リンゴは暑さに弱いため、寒冷地での栽培に適している。しかし農薬や肥料を一切使わないリンゴ作りは絶対に不可能とされてきた。福岡正信(故人)という篤農家の自然農法に共感した木村さんは、夫人が農薬に弱い体質だったこともあって、無農薬・無肥料のリンゴに挑戦したのである。しかしそれは苦悩と挫折の連続だった。
葉は出てきても花は咲かず、害虫や病気と悪戦苦闘する日々。収穫による収入はゼロ。それでも研究を重ね、アルバイトと出稼ぎで生活費を工面し、近隣から変人扱いされながらも、家族の支えで耐え抜いた。
6年目の夏には絶望し、死に場所を求めて岩木山をさまよった。山中でドングリの木を見たときに霊感を得る。「どうしてこの木は、肥料も農薬もやらないのに、毎年立派にドングリを実らせるのだろう?」。着目したのは足下の土だった。すぐさまリンゴ畑の土壌を改良。花を咲かせない木の1本1本に、「ごめんよ、気づかないで」と声をかけて回った。さらに工夫を重ね、ついにスタートから9年目、畑一面にりんごの白い花が咲き乱れた。奇跡は起きたのである。
筆者は3年前の9月に、岡山市で開かれたあるフォーラムで、木村秋則さんと初めてお目にかかった。小柄で、日焼けした顔は柔和な笑みに包まれている。よく大口を開けて笑う。その口の中には歯が1本もない。キャバレーの呼び込みをしていたとき、突然殴られて歯を折り、治療費がないのでそのままにしていたら、すべて抜け落ちてしまったのだという。「歯茎があれば何でも食べられますよ」とまた笑って言う。屈託などまるでない人柄に、すっかり魅せられてしまった。
木村さんの“奇跡のリンゴ”はなかなか手に入らないが、一度だけ食したことがある。香りの強い、なんとも上品な味だった。「これがリンゴなのだ」と思った。そのリンゴは置いておくと、少しずつ萎むだけで、腐ることはない。皮をむいても酸化しない。
木村さんの次なる挑戦はさらに壮大である。日本の農業の根幹である米を無農薬・無肥料で作って広げようというのだ。すでに各地で実験的な耕作が始まっている。なんと農協が応援している地域もある。木村さんは代掻きをした田んぼに手を入れると、ほぼ何俵の収穫があるかわかるという。これも必死の挑戦で得た「超能力」であろう。
日本の農業は根底から変わるかもしれない。木村さんの活動を見ていると、そんな気がして、勇気がわいてくる。
(次回は8月第2週号掲載)
maruyama 〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『今日もきっといいことがある』(新世書房)など多数

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