〈コラム〉行蔵は我に存す

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倫理研究所理事​長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第96回

幕末に勝海舟と福沢諭吉は、共に咸臨丸でアメリカに渡った。勝は艦長待遇、福沢は一介の水夫である。二人ははなからウマが合わず、外交の考えも違っていた。福澤が維新後に書いた「痩我慢の説」では、新政府で禄(ろく)を食(は)んでいる勝のことを名指しで批判している。
他方の勝は、福沢から行蔵(こうぞう、出処と進退)について論難された時にこう言い放った──「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与(あずか)らず、我に関せずと存じ候(そうろう)」。

ホラ吹きとも評された勝海舟だが、この発言には大いに学ぶべきものがある。戦後の混乱期に三顧の礼をもって文部大臣に迎えられた哲学者の天野貞祐(1884~1980)は、在任中に「行蔵は我に存す」の言葉を幾度も心中でくり返しながら、死ぬ気で大臣職をつとめたと述懐している。
その天野は旧制第一高校の学生だった頃に、校長の新渡戸稲造からこんな短歌を教えてもらったことがあったという。

見る人のこころこころにまかせおきて 高嶺にすめる秋の夜の月

今ではほとんど耳にしなくなったが、昔はよく「死んだつもりでやれ」「死ぬ気で仕事をせよ」と先輩から檄が飛んだものだ。死んだつもりとか死ぬ気とは、毀誉褒貶を気にする自分を殺して、の意味である。他人の批判は謙遜に受けとめてもとらわれず、あくまで自分の信ずる道を邁進する心がけは立派なものだ。

2003年に松井秀喜が、大リーグのヤンキースに鳴り物入りで入団した頃のことを思い出す。開幕からの滑り出しは上々だったものの、5月に絶不調に陥り、月間打率は2割を切ってしまった。すると意地悪なマスコミは「グラウンド・ボール・キング(ゴロ王)」だとか、「高価すぎるパーティーの引き出物」だとか酷評する。ところがさすがはゴジラで、6月に入ると見事にスランプを脱し、月間新人賞を受けるほどの活躍を見せつけた。そして記者会見で彼は悠然とこう言い放った。
「マスコミでいろいろ言われましたが、いちいち気にしていたらやってられません。逆に批判を書かれて、発憤の材料になるということもボクの場合はありません。人の書く記事などはボクのコントロールできることではないし、自分のコントロールできることをしっかりやっていく、というのがボクのスタンスですから」
この発言からまた連想するのは、古代ローマで奴隷として辛酸をなめたエピクテトスという哲人の言葉である。──「世にはわれわれの力の及ぶものと、及ばないものとがある。……われわれの及ぶものは、判断、努力、嫌悪など、ひと言でいえば、われわれの意志の所産の一切である」。

どうであろう、エピクテトスも松井秀喜も、天野貞祐も新渡戸稲造も勝海舟も、生き方の基本姿勢やモットーにおいて、軌を一にしているではないか。
行蔵は我に存すればこそ毅然とわが道を行く──それは古くて新しく、容易なようで実行至難の、一流の者にしか身につけられない生き方の流儀といえよう。

(次回は4月第2週号掲載)

〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『ともに生きる』(倫理研究所)など多数。

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