〈コラム〉公益資本主義と日本的経営 

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倫理研究所理事​長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第53回

世界のキリスト教徒の数は20億人を超える。半数以上はカトリック信者で、その頂点に立つローマ教皇は、絶対の権威を誇っている。2013年3月に選出された現在の第266代フランシスコ教皇の生まれはアルゼンチンの首都ブエノスアイレス。史上初のアメリカ大陸出身の教皇である。庶民的で親しみやすく、アルゼンチン時代から貧困問題に熱心に取り組んできた。

やや旧聞に属するが、13年11月にフランシスコ教皇は就任以来初めての「ミッション・マニフェスト」を発表した。「Evangelii Gaudium(喜びの福音)」と名付けられたその文書は、教皇が選出されてから強調してきた多くのテーマをまとめたものだ。その中で教皇は、カトリック教会が改めて貧者に的を絞って活動するとともに、グローバル資本主義への攻撃に着手するよう呼び掛けた。

攻撃とは穏やかな言葉ではない。それほどグローバル資本主義の広がりに危機感を募らせているのである。「『汝殺すなかれ』という戒律が人間生活の価値を守るための明確な制限を設定しているのとまさに同じように、われわれは今日、排除と不平等の経済に『汝向かうなかれ』と言わなければならない」とも述べている。

なぜなら現在の経済システムは「その根本において不公正」であり、「市場と金融上の投機の絶対的な自立を守る」ことに偏しているからだ。それによって世界中にどれほど格差が広がり、おびただしい数の貧困層が出現したことか。

そのようなフランシスコ教皇の指摘は正しいと思う。では、これからどのような新しい経済システムを構築したらよいのか。
筆者が一つの可能性として注目しているのは「公益資本主義」である。それは利益を求める資本主義を利用しながらも、社会にとって有用な企業を全世界的に生み出して育成し、事業を通じた社会貢献を可能にする経済システムである。

そもそも企業の存在価値は、まず事業を通じて社会に貢献し、その結果として株主にも利益をもたらすのが本来である。仕事を通じて生きがいをつくり、その結果として個人も金銭的な富や社会的充実感を得る。その実現のために企業がある。今日のように手段と目的を取り違え、株価を上げる経営者であれば誰でもよいという風潮は、人々を不幸にするだけだ。

このような主張を聞くと、「なんだ、それは当たり前ではないか」と思う人が日本人には多いであろう。松下幸之助にしても、事業を興した初期の頃から「企業は社会の公器」という経営理念を唱えていた。日本的経営といえば、終身雇用制、年功制、企業別組合、集団主義などとされる。もはや時代遅れだと批判も強い。しかし日本的経営とは、そのような仕組みよりも、その精神にある。すなわち他者に喜び(delight)を与え、自利と利他を共存させることだ。実例は山ほどある。

グローバル資本主義に乗じた経営を攻撃するだけでなく、公益を第一とした経済システムや自利即利他の経営方式があるということを、ぜひともローマ教皇にお伝えしたい。 (次回は9月第2週号掲載)

丸山敏秋

〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『「いのち」の輝き』(新世書房)など多数。

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