〈コラム〉ムンクと太陽

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丸山敏秋「風のゆくえ」第33回

ゴッホとムンクの作品には、よく似た気韻を感じる。10歳年長のフィンセント・ファン・ゴッホは、精神が崩壊する瀬戸際に踏みとどまってキャンバスに向かった。ノルウェー出身のエドバルド・ムンクもある時期、強迫観念や幻覚に襲われ、ついに自ら精神病院に入院する。そしてどちらもよく太陽の絵を描いた。
幼児に絵を好きに描かせると、必ずといっていいほど太陽を描く。成人した大人はまず描かない。ところが統合失調症(かつては精神分裂病と呼ばれた)の患者は、大人になっても太陽の絵を描く。とくに回復期によく描くのだという。
幼児が太陽を描くのは、自分が中心の世界にいる意識があるからだ。学童期に入ると自分を客観視しはじめるため、ほとんど太陽を描かなくなる。
統合失調症の患者の場合、描かれる太陽にはある法則性が認められる。病初期には沈んでいく太陽を描き、症状の固定した慢性期では太陽を画面の中心に描き、回復期には昇る太陽や朝焼けの空などを描く傾向があるのだそうだ。
この傾向は、ムンクの描いた一連の作品と、彼の病気の経過との関連の中に鮮やかに見てとることができる。有名な『叫び』は発病の徴候があった頃の作品で、夕焼けの中で男が恐怖に歪んだ顔で叫んでいる。沈む太陽が、そこには隠れている。
退院してからの回復期に、ムンクはまさしく「太陽」と題する大作を描いた(いわゆる「アウラ装飾」)。オスロ大学講堂の正面を飾るこの絵は、画面の真ん中に昇る太陽だけを大きく描いている。
この時期のムンクは、自分が中心であるという妄想を脱していた。だから向こうの方に太陽を見て、それを中心に世界を再構築しつつあった。ちなみに、真昼の太陽をいくつも描いたのはおそらくゴッホだけだろう。彼の病はついに回復しなかった。
心理学者は言う| |人間として健全な精神を保って生きるには、自分の内面においても、外の世界においても、自分なりの中心を見出し、それを基準にして自分と世界の関係を組み立てていなければならない、と。その中心が自分自身になってしまうのは、思い上がりであり、妄想にほかならない。自己中心の世界にいる幼児と同じ心理状態なのだ。
そこから脱却して、全体の中の一部としての自分に気づき、自分のいま居る位置を自覚することが望ましい。家庭にどっしりとした中心者(多くは父親であろう)が居ると、子供は自分の位置を確かめながら成長していける。
ところが近年の父親はものわかりが良すぎる。子供の機嫌を気にして、迎合する態度をとろうとする。それが逆効果であることに気づいていない。
それにしても、太陽と絵画の関係は興味深い。太陽は地球の「母」であり「父」でもある。その太陽に最接近し、地上から肉眼でも見えると期待されたアイソン彗星が先月末にほぼ消滅してしまった。宇宙でも何が起こるかわからない。大自然も人の心も、不思議に満ちているからこそ、人々は謎解きに挑みつづけるのである。
(次回は1月第2週号掲載)
maruyama 〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『今日もきっといいことがある』(新世書房)など多数

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