〈コラム〉相手の身になる能力

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倫理研究所理事​長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第54回

もう100年以上も昔の話だが、世界にその名が知られる「田熊式ボイラー」が発明された。水管ボイラーの一種で、多量の蒸気が得られる。それまでのボイラーは性能が悪く、なんとか改善したいと田熊常吉(1872〜1953)は格闘していた。しかしうまくいかない。悩んだ末、船の上から投身自殺しようとまで思いつめた。

窮した末にふと、「ひとつボイラーの身になってみよう」と彼は考えた。懸命にボイラーの気持ちになろうと努めたところ、天啓を得たかのごとく、どこの具合が悪く、どう改善したらよいのかわかったという。人間は努力すれば、ボイラーの身にすらなれるのである。田熊はこの発明で「汽罐王」と称賛された。

青森県のリンゴ農家の木村秋則(1949〜)さんは、絶対に不可能とされてきた無農薬・無肥料でのリンゴ栽培に成功した人である。彼もまた首をくくるロープを手に岩木山中を彷徨するほど窮した末に、天啓を得たという。NHKの番組で9年前に紹介され、「奇跡のリンゴ」とそれは呼ばれた。近年はリンゴばかりでなく、米や野菜の自然栽培の指導でも、日本の各地を飛び回っておられる。

5年前に木村さんとお会いして話を聞いたとき、その独特の自然栽培の鍵は、相手の身になることだと知った。リンゴ栽培ならば、ひたすらリンゴの木と向き合い、リンゴの身になって考えながら、工夫を重ねてきたという。主役はリンゴの木であり、人間は手伝うことしかできない。稲の身になれば、田んぼの代掻き(水を入れて土を砕いて掻きならす作業)をどれほどやればよいか、稲から教えてもらえるという。

アメリカのアルド・レオポルド(1887〜1948)はのちに「環境倫理学の父」と呼ばれた。まだ「生態系」という言葉がなかった頃、森林官だったレオポルドはオオカミやクマを害獣として大量に射殺することで、山の動植物の生存環境が激変する様子を目の当たりにした。以後、経済的観点だけに基づいた人間の勝手な自然保護体制を、どうしようもなく偏ったものだと批判し、「山の身になって考える」立場からの自然保護を訴えて行動した。名著『野生のうたが聞こえる』(1949)には、レオポルドの優しいまなざしから発した美しい文章が綴られている。

相手の身になるのが、倫理道徳の原点である。親身になることで、真実の思いやりが生まれる。他者との絆を欠いても、なんとか生きてはいけるだろう。だが、そんな人生に喜びや生きがいを見出せるだろうか。誰もが心の底では、他者との確かな絆を求めている。ならば、相手を思いやる力を高めなければならない。

日本には針やハサミや鏡などの愛用品を「供養」する文化がある。そのルーツは縄文時代にさかのぼる。貝塚は単なるゴミ捨て場でなかった。アイヌ民族の熊祭り(イオマンテ)と同様の「送りの儀式」の場であったという。

人間は他人の身になることも、人間以外の存在の身にもなることもできるのだ。その能力を高めることなくして、平和も安寧も実現はできないだろう。

(次回は10月第2週号掲載)

丸山敏秋

〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『「いのち」の輝き』(新世書房)など多数。

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