〈コラム〉虫の音に耳を澄ませて

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丸山敏秋「風のゆくえ」第6回

日本では秋が近づくと、心にしみる虫たちの声が夜長を楽しませてくれる。外国人に虫の音は雑音にしか聞こえないそうだが、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は違っていた。彼はもともと異常なほど虫が好きで、身近なキセルや茶器や封筒に虫の姿を施し、作品の中にも沢山の虫を登場させた。
「虫の演奏家」というハーンの名作がある。その虫はもちろん松虫や鈴虫など“夜の歌い手”のことだ。国をあげて日本人が籠に入れた虫を愛でるのは、ただ声が好きという理由だけでなく、「詩歌や伝説で讃えられた何かに似たリズミカルな魅力」があるからだと述べている。
|「虫よ虫、ないて因果がつくるなら(ああ虫よ、歌えば業が尽きるとおまえは思っているのかい)」。
ハーンは作品の冒頭にこの作者不明の短い詩を掲げることで、日本人を魅了する秘密に迫ったと言いたいのだろう。すなわち因縁という宿業である。
今や時代が移って都市化が広がり、騒音によって静寂が遠のいただけでなく、虫の音もあまり聞こえなくなったのは淋しい。因果応報という人生観もどこかに失せてしまったようだ。
ところで「風」という漢字は、最古の甲骨文字では鳳凰のような鳥の形をしていた。風の神のことである。それが「風」の字形に変わっていくとき、虫のような字が入り込んだ。「説文」という2000年前の辞書には、「風動いて虫生ず」とある。この虫とはいったい何なのか、どうして侵入したのかさっぱりわからない。
日本語の「むし(虫)」は「蒸す」と関係があるらしい。温かく湿った気が虫たちを発生させるのだ。日本にはなんと3万2000種もの昆虫が棲息しているという。他方で日本人は、心の動きや微妙な空気も虫と呼んできた。
腹の中の虫はとても敏感で、触られたり居所が悪いと騒ぎ出す。虫が好かない輩は相手にしない。自分勝手なあつかましい人は「虫がいい」と軽蔑する。未婚の愛娘は「虫が付く」のを警戒して箱の中に入れておく。
「虫が知らせる」という言い方も面白い。この虫はまだ事が起こる前から、無言の情報を送ってくれる。シンクロニシティーが発生するのは、この虫の仕業なのだ。
日本人のデリカシーを担う虫の世界を消してしまってはもったいない。「虫の声一つあれば優美で繊細な空想を次々に呼びおこすことが出来る国民から、たしかに私たち西洋人は学ぶべきものがある」とハーンも言っている。
腹の中の虫もしっかり育てて、怒るときには堂々と怒るべきだ。世の中には利権を巡る不正が横行している。
大震災を経験した日本人は、秋の虫の音に耳を澄ましながら、天地自然の道理に目覚め、持ち前のデリケートな感性を呼び起こす必要があるのではなかろうか。
(次回は10月8日号掲載)
maruyama 〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『今日もきっといいことがある』(新世書房)など多数。

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