〈コラム〉「そうえん」オーナー 山口 政昭「医食同源」
マクロビオティック・レストラン(35) 次に何軒かチェーン店を持つ日本人経営のファスト・フード店に雇われました。地下でシェフがチキンをさばく…
マクロビオティック・レストラン(35) 次に何軒かチェーン店を持つ日本人経営のファスト・フード店に雇われました。地下でシェフがチキンをさばく…
マクロビオティック・レストラン(34) 「この店をつづけてゆくことが、ターキーに対する供養になるのではないでしょうか。彼の夢が何であったか、…
マクロビオティック・レストラン(33) ニューヨークに戻ってきて最初に得た仕事は、ウォール街近くにある「歌舞伎」という大きな日本レストラン、…
マクロビオティック・レストラン(32) H一家には熊ちゃんもいました。日向野さんとは東京の写真学校で知り合い、いっしょにニューヨークに来たの…
マクロビオティック・レストラン(31) アパートが見つかるまで、Hさんのアパートに転がり込みました(Hさんは私が書店をクビになったとき自分が…
マクロビオティック・レストラン(30) イミグレーションは人間の運命さえ変える。私の友達は戸籍謄本を見つけられて入国を拒否されました(永住権…
マクロビオティック・レストラン(29) JFKに着いたとき、たったの七十ドルしか持っていませんでした。クレジットカードは、もちろん持っていな…
マクロビオティック・レストラン(28) 返事を書こうとするのですが、人間の複雑な心境を文章にするのはむずかしい。たとえ万言を費やしたとしても…
マクロビオティック・レストラン(27) アメリカに戻ってまもなく母親から手紙がきました。 〈早く知らせたかったけど、どこにいるかわからないか…
マクロビオティック・レストラン(26) 私は五人兄弟の長男です。一年の約束でしたから両親は私が帰国するのを毎日、カレンダーを見ながら待ってい…
マクロビオティック・レストラン(25) ユーゴスラビアではチトーが、スペインではフランコが権力を奮っていた時代です。ベルリンの壁も、もちろん…
マクロビオティック・レストラン(24) 日記を書きはじめたのは八月一日からです。旅も五か月目に入り、東欧圏に入るのを前にマンネリ化した気持ち…
マクロビオティック・レストラン(23) 九月X日 午後から東ベルリンに行く。持っていた東ドイツの金七十マルクを使うのがその目的。検問のチャー…
マクロビオティック・レストラン(22) 九月X日 朝七時プラハ着。チェドックは長蛇の列。一時間並んでようやくホテルを紹介されたが、貧乏旅行の…
マクロビオティック・レストラン(21) 九月X日 女は隣の部屋で寝ているようだが、おれの部屋にはドアがないので黒のタイツ姿で歩き回る彼女の姿…
マクロビオティック・レストラン(20) 八月X日 スチューデント・ホテルは高いからユースホステルに移ろうと思ったら、また断られたため、予定を…
マクロビオティック・レストラン(19) 八月X日 九時半出発。十分で一台目を掴まえ、さいさきよかったが、五十キロさきで降ろされてからは三時間…
マクロビオティック・レストラン(18) 八月X日 朝七時、金を失くしたと言って叩き起こされる。ここのユース(ウィーン)で知り合った日本人で、…
マクロビオティック・レストラン(17) 八月X日 九時過ぎ、インスブルックのユースを出る。宿泊費十八シリング。(一ドルは約二十シリング)。五…
マクロビオティック・レストラン(16) 空港で、ちょっとしたトラブルがありました。シートベルトを締めて、あとは出発するばかりだと思っていたら…