〈コラム〉「そうえん」オーナー 山口 政昭「医食同源」

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マクロビオティック・レストラン(19)

八月X日
九時半出発。十分で一台目を掴まえ、さいさきよかったが、五十キロさきで降ろされてからは三時間待っても止まってくれそうな気配なく、諦めてバスに乗る。交通費が安いから効率からいえば、公共の乗り物を利用すべきだろうが、初心忘るべからずで、一日のはじまりだけでも、ヒッチハイクでスタートしたほうが気持ちがいい。百八十キロを四時間かかる(三十三ディナール)。ザダールのユースホステル泊。キブツに六か月いたというアメリカ人女性に逢う。キブツはいつか行きたいところ。いろいろと話を聞く。ユースの中庭で近所の若者が大勢集まって遅くまで踊っている。ウイークエンドはディスコにもなるらしい。

八月X日
三時間待ってようやく掴まえたと思ったら、たった三十キロ行ったところで降ろされた。しばらく立っていたが気分が滅入ってバスに乗る。毎日、何時間も立つ作業は辛く、体力より気分が、だいたいさきにダウンする。スプリット着。重い荷物を背負って二十分も歩いて行ったのに、なぜかユースは閉鎖され、人っ子ひとり見当たらない。親切な親爺さんが車でスチューデント・ホテルまで連れて行ってくれた。が、今日はやはりついていない。満員で断られた。長期間、旅をしていると、こんな日もある。草むらを見つけて横になる。星が一つ、二つ見えた。寝袋に入るのは心身を休めるためだが、宇宙と自分の関係を見つめるときでもある。眠くなるまでのひととき、しばらく宇宙を彷徨う。スプリットはいい街。

八月X日
明け方五時、やはり野宿していたらしい農婦たちの声で目が覚めた。昨夜はいなかったから、おれが寝たあとに集まってきたのだろう。おかしかった。どこで寝ても仲間はいるものだと。自分たちが作った農作物を田舎から売りにきたのだろう。女はたくましい。ついお袋を思いだした。きのうより、さらにヒッチする気分になれず、最初からバスに乗る。ドブロニークはアドリア海に面した石畳と石門の美しい街。今日は祭りの最終日で、演奏会にワイゼンベルグがプログラムに組まれていた。野外レストランでビールを飲みながら楽団の演奏を聴く。最高の贅沢だが、やはり何か欠けている。そばに愛する人か、あるいは家族でもいい、――もしいたら、そのよろこびは何十倍にも膨れあがるだろう。「軽騎兵」に郷愁覚ゆ。(学生時代に同じ下宿の丸尾から借りたテープでよく聴いていた。彼は亡くなった兄の家族を扶養するために松下を蹴って地元の銀行に就職した。見上げたやつだ。)どうしているだろう。おれが、まさかこんなところで、丸尾のことを思いだしながら日記を書いているとは夢にも思っていないだろう。       (次回は2月9日号掲載)
〈プロフィル〉山口 政昭(やまぐち まさあき) 長崎大学経済学部卒業。「そうえん」オーナー。作家。著書に「時の歩みに錘をつけて」「アメリカの空」など。1971年に渡米。バスボーイ、皿洗いなどをしながら世界80カ国を放浪。

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